「誰?」 足でドアをノックすると少し間をおいて返事が聞こえた。 一度寝るとなかなか起きないから、起きててくれて助かった。 「ノエル、ごめん遅くに」 「リル?」 「うん、いま手がふさがってて、開けて欲しい」 言い終わると同時にドアが開いた。 ボクがレイチェルさんを負ぶっているのを見て驚いたようだけど、すぐに 「とにかく入って」 と言ってくれた。 「悪いけど、急ぐんだ。行くところがあって、だから彼女をお願いしたいんだ」 「あのね、リル」 「ノエル、迷惑は掛けないから」 そう言うとノエルは大きくため息をついた。 「まったく、誰に頼んでるつもりなの?」 「ノエル!」 お願いだから、頷いて欲しい。きっとリオンのとこへ行くのは得策じゃない。 ノエルに頼るしかない。ノエルに任せるのが一番安心できるんだよ。 「早くその子をベッドに寝かせて行きなさいって言ってるの。迷惑には慣れてるのよ」 やれやれ、といったような表情を浮かべ、そしていつもの自信に満ちた笑顔を浮かべた。 その言葉と笑顔は本当に、誰のものより頼りになる。 「ありがとう、説明は・・・・・・」 「はいはい、後で聞くから。急ぐんでしょ?」 「すぐ、帰ってくるから。必ず」 そうしてボクはノエルの部屋を飛び出した。 目指すはプロンテラ城。門は閉まっているだろうから、裏口からだ。 第15話 「時の変遷を見ることができたなら」 うまい具合に裏口には誰もいなかった。 いや、居たには居たけど、兵士たちは揃って居眠りをしていた。 あまりにもタイミングが良すぎるとは思ったけど、足止めをくわなくて済んだからよしとしよう。 城の内部を走り抜ける。嫌な予感が続いていた。いつだったか感じたことのある不安。 アルメリアの話が現実に起こっている。もう、そう思ってしまっていたからだ。 否定したい。レナが連れ出したなんて、嘘だ。 でも、ネンカラスの部屋には誰も居なかった。 ヤファがまだ外に居る可能性も考えた。でも、それはないような気がしていた。 お城に囚われているヤファを想像してしまっていたからかもしれない。 どっちにしろ、すぐにわかる。 どうか、アルメリアの少しきついイタズラでありますように。 一階の中央の階段を上り、大理石の廊下を駆け抜けた。 さっきから誰にも会わない。こんなにお城の警備は薄かったんだろうか。 ふと、足がとまった。右手には冷たい鉄製の大きな扉がある ここからは中央広間へ行けたはず。扉を2つ抜けた先に何かある広場。 そこで何かが起こっている。そんな気がしていた。 この先に行ってはいけないような、そんな漠然とした恐怖を感じる。 これは暗示だ。城の至る所に施した暗示の魔術。 夜のこの城では、不正解だと思う道が正解なんだ。 そう確信したときには既に右手は扉に手をかけていた。 ひどく重い音をたてて扉が開く。中央広間と廊下の間の通路。 そこは薄暗く、そこにいた人影に一瞬気づかなかった。 「リル・ローゼリア」 向こうから先に声をかけてきた。いや、先に声を出すことが、なぜかできなかった。 通路に静かに広がった小さな透き通る声。 女性の声。 その声でわかった。 そこにいたのは。 「ルミナ姫…何故こんなところに…」 ようやく出てきてくれた言葉で質問を投げかけた。 「ここは私の城ですよ。どこにいてもおかしくはありません」 だとしても、こんな狭い通路にいるのは変だと思った。 でも、だからこそ、理由があるのだと思った。 広間で何かが行われている。 「貴方こそどうしてここに?」 「探してるんです。仲間を」 「そうですか」 そう呟いて、ルミナ姫は目を伏せた。 ルミナ姫は知っているのだろうか。だとしたらどうしてその場にいないのか。 「私はこの先へ貴方を行かせたくありません」 うつむいたまま静かで、それでいて何度も聞いたことのある意志の強い声で、 彼女はそう言った。 「どうして、ですか?」 ボクの言葉の後、少し間を置いて彼女は顔を上げた。 「貴方を悲しませたくないから、でも…」 「通してください」 「…………はい」 「いいのですか?」 「これも、運命なのでしょうか…」 「扉の向こうに、いるんですね」 「貴方が扉を開けば、もうこちらへは戻ってこれないでしょう。 それでも、それが神の御意志ならば…。私には止められない」 彼女はそこで言葉を切ってそっと目を閉じた。 何か悩んでいるようにも見える。 苦しんでいるようにも。 やがて開かれた彼女の瞳には、いつもの強い意志だけが感じられた。 「これを持っていきなさい、私の最初で最後の手助けです」 そういってボクの手に何かを握らせた。 手の中のそれを確認する。 これは… 「持っていけばわかります。できれば…使って欲しくない。 でも、貴方はきっと使うでしょう」 すこし、沈黙が流れた 「さぁ、扉を開いて」 そう言ってルミナ姫はボクの横を通り過ぎた。 ボクは振り返ることなく、広間へと続く扉に手をかけ、 そして、重く冷たい扉を開けた。 ふと、後ろから声が聞こえた気がした 「運命の書物を読むことができたらなら、そして・・・」 「え?」 振り返るともうそこにルミナ姫はいなかった。 そして開けた扉に向き直り中を見ると、通路よりずっと明るい広間の真中に大勢の騎士たちがいた。 それも第一騎士団の鎧を着ている。全員槍を持って何かを取り囲むように立っていた。 また、さっきまで感じていた焦燥感が湧き上がってきた。 自分の意志とは無関係にその輪に向かって歩き出した。 「誰だ!」 ボクが広間に入ってくるのに気づいた一人の騎士が声を上げた。 確か王宮で見たことがある。 「お前は…」 「リルです、私の友達です」 その騎士の声を遮って騎士たちの後ろから声が聞こえた。 レナの声だった。 「道を開けてあげて」 その言葉に輪の一部が開き、その中心にレナと1人のプリースト、それと倒れている誰かが見えた。 誰か?誰かって、ここからでもわかるじゃないか。 白装束、それに…尻尾。 でも、なんでここからみてわかるほど… 白装束が…赤く染まってるんだ… 「リル、落ち着いて…」 レナの声が聞こえた、いつもの彼女らしくない。 すこし怯えたたような声。 ボクは輪の中心に一歩ずつ近づく。 「しょうがなかったの、だって…」 彼女の言葉がすこしずつ大きく聞こえるようになってきた。 ボクが近づいたからなのか、それとも彼女の声が大きくなったのか。 ボクは倒れている少女に一歩ずつ近づく。 「ね、リル、わかってこれも王国のためなの、国民のためなの」 ボクは道を開けている騎士たちの間を通って倒れた少女の横に立った。 倒れた少女は動かない。 赤く染まった装束がとても痛々しかった。 ボクは少女の傍らに座り込んでその手を握った。 結局、本当であって欲しくなかったことは、実際に目の前で起こって、そして終わっていた。 それを表すように、傷ついたヤファがそこに倒れていた。 「ヤファ、ごめん」 握った手の温度がいつもより冷たかった。 でも大きな耳が脊髄反射のように動いた。 「ヤファ」 静かに名前を呼ぶ。すると苦しそうに少し目を開いた かろうじで生きていた…よかったこれなら… 「すぐに助けるから」 そういって身体に刻まれた魔力を呼び起こす。 「ヒール!!」 だけど、魔力は具現されることなく、収束して消えてしまった。 どうして?ヒールが使えない? 「ヒール!!ヒール!!ヒール!!」 何度やっても同じだった、まさか… 「無駄よ」 冷徹な声が響いた。 レナの隣に立っていたプリースト。 フェイヨンに居た頃からよく知っている。 いじわるで、言葉がきつくて、でもたまにすごく優しい人だった。 「ルーさん…」 「ここではどんな魔術も使えないのよ」 「レナ姫様と私以外はね」 「そんな…」 だったら、ここで黙ってヤファが消えていくのを見てなきゃいけないのか? そんなことできるわけない… 「だったらここから出るまでです」 そういってボクはヤファの身体を抱き上げた。 想像以上に、怖いほど軽かった。 「リ……ル…」 消えそうな声でヤファがボクの名を呼ぶ 「大丈夫、いま助けるから」 そういって立ち上がろうとした、そのとき。 「行かせると思っているの?」 ルーさんの声が聞こえて、そちらに視線を向けた。 彼女が左腕を上げると周りにいた騎士たちがボクたちに槍の先を向けた。 「行かせてください」 「ここから出られるのは貴方ひとりだけよ」 「どうして!」 「どうして?そんなことは決まっているでしょう?貴方の抱きかかえているのが・・・ モンスターだからよ」 今更、何でこんなにショックを受けているのか。この光景を自分の目で見てわかっていたはずだ。 ここにいる全員がヤファをモンスター、ただのモンスターだって、 そう思っているっていうこと。 「レナもそう思ってたんだ?」 「違う!違うけど、どうしようもなかったの!」 レナは、泣いていた。 どうしてだろう。ふと疑問に思ってしまった。ネンカラスの酒場では、あんなに楽しく騒いでたのに。 ヤファが人間じゃないから、消してしまって。アルメリアが知らせてくれなかったら、ボクは今ここにいなくて。 そうしたら、ヤファに何があったのか知らずに居たはずだ。 ボクがヤファのことを探して、レナにもヤファが居なくなったんだって言いに来たはずだ。 そのとき、レナは、どうするつもりだったんだろう。 何も知らない顔して、一緒に探す、とでも言ったのだろうか。 わからない。どうして泣いてるんだろう。泣きたいのはこっちのほうだよ、レナ。 だって、裏切ったのはそっちなんだから。 「悪いけど、力ずくでもここから出させてもらう」 悲しいのか、怒っているのか、自分でも良く分からなかった。 「少しは状況を考えてから言葉にしなさい。魔術の使えないプリーストがどうやって 王国屈指の騎士たちから逃げるというの」 ルーさんの言うことはもっともだ。力で勝てるわけがない。 逃げようにもワープポータルすら使えない。 そもそもブルージェムストーンがない。 正直、絶体絶命。 「危機が大きいほど、冷静に」 昔、姉さんが言った言葉 そして、「どんな状況でも助けてくれる人はいる」と。 ルミナ姫がその人だった。 ボクの手の中にあるこれをくれた。 ここから抜け出すたった一つの手段、なのだろう。 でもこれは、現在ではほとんど流通していない。 それに、プリーストでこれを持っているとは思っていないのだろう。 確かに、持ってなかった。さっきまでは・・・ 「その子を置いていけば、無事に帰れるのよ」 「王国としては一人でも戦力を失うわけにはいかない。でも、モンスターを従えている聖職者がいてはならない。 貴方には選択肢は2つしかないのよ。その子を置いてここから立ち去るか。それとも…」 「二人ともここで死ぬか」 ルーさんが何か言っている。 選択肢は2つ? そう、たしかに普通はそうかもしれない。 ルミナ姫の助けがなければ、ボクたちはここで死んでいた。 いや、ボクは捕らえられ、ヤファだけが消えていただろう。 ここにルーさんがいることで明らかだ。 プリーストとして絶対的退魔力をもつ彼女は、悪魔に属するヤファだけを消すことくらいはたやすい。 でも、ボクが来る前にそれをできなかったのが失敗だった。 とどめを刺す前にボクがここへきてしまって、 だからたぶん最後の別れでもさせるつもりだったのかもしれない。 厳しいくせに、変なとこで優しいんだから… そう思うと少し笑えてきた。 「あはは…」 こらえられず笑ってしまった。 「何を?」 みんな怪訝な顔をしている。 絶体絶命の人間が笑っているのだから無理もない。 いや、狂ったとでも思ったかもしれない。 「3つ目の選択肢、見せてあげますよ」 「え?」 そういってボクはさっきルミナ姫から受け取った2枚の羽を取り出した。 「これからは敵同士になってしまいますが、できれば戦場では会いたくはないですね」 そう言ってボクは2枚の蝶の羽を握りつぶし、ヤファとボク自身にその粉を振りかけた。 「待て!」 ボクが何をしたのか気づいて、止める声がかすかに聞こえたけど、 次の瞬間にはもうボクたちはプロンテラ大聖堂の前にいた。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 「逃げられましたね」 騎士たちにリルとヤファを探しに出させたルーシーズさんがそっと呟いた。 今はこの広間に私たち2人だけ。 「私は、こうなることを望んでいたのかもしれません」 私は白状した。 正直、ふたりがここから消えた瞬間、あっけにとられていたけど、 彼が何をしたのか気づくと、安心してしまった。 自分で追い詰めておいて、なんてひどい女なんだろう… 私は、友達を傷つけて、逃げられて、あぁ生き延びてくれてよかった、そんな風に思ってしまったのだから。 本当にわけがわからない。 「私はたぶん彼があの月夜花の子を見捨てることはないだろうと思っていました。 だから彼が現れる前に全部済ませたかったのですが・・・失敗でした」 そう言って少しだけ微笑むルーシーズさん。 なんとなく思った。 本当は彼女もこんなことはしたくなかったのかもしれないって。 私は国を、彼女は教会を、それぞれ背負っていてとても不自由。 諦めていたはずなのに今日はとても苦しくて重い宿命に涙を流してしまった。 彼の心を深く傷つけてしまったことに。 彼の友達を傷つけてしまったことに。 私は世界で一番裏切りたくない人を裏切ってしまった・・・ 傷つけた罪はもう洗い流せない。後悔してももう遅い。 彼が最後に言った言葉。 「次に会うときは敵同士」 それが彼の答えだった。 もしかしたら、いつか彼は許してくれるかもしれない。 次に会うときに、もしこの国が本当の平和を取り戻していたなら。 私はどんなことでもして謝罪をしなければならない。 「追っ手を差し向けますか?」 彼女はそう訊いてきた。 彼は、国を裏切った者として手配しなければならない。 本当は放っておきたい。でもそれは彼と友達だった私のわがまま。 王国を統べるものの一族として、大臣たちを納得させなければならない。 会議で決まったこととはいえ、今回のことは秘密裏になされたことだった。 お姉様にさえ話を通してはいない。 でもどこからでも情報というのは漏れるもの。 事実、アルベルタで足止めをされているはずの彼はここに現れた。 ここは「私」ではなく「第二皇女」として判断しなくてはいけない。 そう、彼は「モンスター」を庇い、逃げたのだから。 私たちの敵となって… 「懸賞金を出しましょう。もしかしたら捕まるかもしれません」 「わかりました。ではそのように手配します」 「お願いします。私は、部屋に戻ります」 「はい、ごゆっくりお休みください」 私は後の処理をルーシーズさんに任せて部屋に戻ることにした。 広いこの部屋の端までいくのがとても辛かった。 気づかないふりをしていた胸の奥のほうの痛みが、私を責めている。 いつもよりずっと足が重い。 やっと広間の奥の扉まで歩いてきたとき、後ろから声が聞こえた。 「彼は…リルは捕まりませんよ」 それは彼女の判断か、希望か、どちらにしても事実だと思う。 ううん、たぶん彼女の言葉は私の願いだ。 「そうですね」 一言だけ残して私は自分の部屋に戻った。 今日の罪の懺悔と自己嫌悪を。 明日には忘れて、仕事をしなければならない。 それがルーンミッドガルド王国の皇女として生まれた私の宿命だから。 それでも、思ってしまう。あの会議にお姉さまが居てくれたなら、私は・・・ |