第14話 崩れ始める日常。










やっぱり飲みすぎたのか、二日酔いにはならなかったけど起きたら夜だった。
さすがにこれはまずい。いくらなんでもまずい。脳が溶けていくような気がする。
起きて横を見ると隣のベッドにはヤファはおらず、ランプの明かりだけが静かに炎を燃やす音をたてていた。
部屋自体は4日間分のお金と2週間分の予約を入れているので大丈夫。
本当は今日中に必需品を買ったりしようと思ってたのに・・・
もちろんヤファもプロンテラは初めてだろうから案内しようと思ってたし。
それと、ついでっていうのあれだけど、父さんのお墓参りにも行きたかったのに。

ベッドの上で自己嫌悪の嵐に身を委ねていると、ノックをする音が聞こえてきた。
はい、と答えると何やら荷物を持ってヤファが入ってきた。
ノックなんていつの間に覚えたのだろう。

「おはよーリル。食べ物買って来たよー、食べよ食べよ」

「あ、ありがとう」

さすがにお腹のほうも悲鳴、というか断末魔を上げていたし、
さっそくヤファの気遣いに感謝しつつ食事を始めた。

「ところで、お金はどうしたの?」

「んー?これ?なんかねお昼にマナが来て、リルが寝てるからすぐ帰っちゃったんだけど、
『これで何か食べるものを買っておいてあげてください』って言ってたから」

「マナちゃんが?何か用だったのかな」

「わっかんなーい」

わざわざ訪ねて来るくらいだから何か用があったんだろう。悪いことしたな。
起こしてくれてもよかったのに、ノエルと比べればまだ寝起きはいいほうなんだから。
思えばいつもマナちゃんには巡り会わせが悪いというかなんというか、損をさせてしまっている気がする。

「ねぇねぇ、明日お城行くんだよね?」

「うん、でもヤファはお留守番しててね」

と言った瞬間かなり不満そうな、もちろん予想はしていたけど、抗議の声をあげた。

「えーーーーーーーー!?いーーきーーたーーーいぃーーよぉーーーー!!!」

「こればっかりはだめなんだよ。お城には怖い人がたくさん居るからさ」

「だったらなおさらだよ〜。わたしがリルを守らないといけないんだからっ」

「いや、ボクは怖くないんだけど、ヤファが行くとまずいことに・・・」

「どーしてー、またお留守番なんてやだなぁ〜〜」

「レイチェルさん連れ戻したらいくらでもどこにでも連れてってあげるから・・・」

「むー、うーー。わかったよぉ」

あんまり納得している様子はなかったけど、さすがにお城に連れて行くのはまずい。
たとえバレなかったとしても、あの大臣たちの傍にヤファを連れて行きたくないし。
お城に行ってる間どうしようか・・・大人しくしていられるかな。心配だ。

「とにかくさ、明日だけ我慢してほしい」

「は〜い、我慢するー」

結局ヤファのことは一人にしてばっかりいる。
やっぱり早く起きてプロンテラの町を案内してあげるべきだった。
本当に、そうするべきだったのだ。











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城内の大会議室、極秘の会議。お姉さまは何故か出席していない。
こういう場合、その権限を私が代理することになっている。
今まではそれほど重要ではない会議のときだけの欠席だったのに、
どうして、今日に限っていないのか。
いつも勝手にどこかに行ってしまうお姉さまを、今日ばかりは心底恨んだ。
誰も私の意見を聞こうとはしない。
私の発言はどうしてこんなにも弱いのだろう。
私の意志はどうしてこんなにも弱いのだろう。
お姉さまなら、大臣たちが何を言っても動じることなんてないのに・・・

「そういうわけで、処理のほうはルーシーズに一任する方向で」

「ちょっと待ってください、やっぱりまず話し合って・・・」

私はなんとか平和的に解決したいのだけれど、大臣たちは、ルーシーズさんでさえ私に味方してくれなかった。
もちろんわかってはいた。国のことを考えれば、大臣たちの言うことは正しいのだろう。
明らかに私の言っていることは間違っている。
でも、私は彼を、裏切りたくない・・・

「でもっ!」

声を上げた私に大臣の一人がうんざりしたような表情を向けて言う。

「よろしいですかレナ姫、プロンテラにモンスターが侵入しているのは事実、しかも月夜花などという強力な魔族。
そのようなものを看過するわけにはいかないのですぞ。先程の策にあのプリーストが掛かることは間違いありません。
本来なら処罰するところを今回は特別に不問にすると、これほどの譲歩がありましょうか。そうだなルーシーズ」

「はい、彼の性格上、怪しむかもしれませんが、拒否はありえません。月夜花の方は彼がいない間に城に呼び、
あの部屋で私が処理します。近衛の数名を借りることになりますが第一騎士団隊長にはすでに話を通してあります。
もちろん彼女の力は借りないのでご安心を」

「うむ、あんな平民出の騎士に力を借りる必要などない。まったく、何故あのような・・・」

「言葉が過ぎます、お姉さまの決めたことです。それ以上はお姉さまを侮辱することになりますよ」

「め、滅相もない。私はただ・・・」

結局、私はこの言葉でしか彼らには勝てない。
そう、お姉さまのことを出せば黙るのだ、この大臣たちは。
お姉さまの名前を出さなければ黙らせることもできない私は、いったいなんなのだろう。

「レナ姫様、わかっていらっしゃるとは思いますが、ルミナ姫の代わりにここに居ることをお忘れなく。
あの方なら必ずや私の案に賛成してくださるはずです。国を想えば、出る答えは一つしかありません。
彼と旧知の仲なのは、私も知っています。ですが、今は忘れてください。必ず、彼もわかってくれるはずです。
今は無理だったとしても、いつか必ず」

・・・最後の言葉だけは嘘だと思った。
絶対に彼は裏切り者の私を許したりはしないだろう。
彼は実は誰にでも優しいわけではない。彼の認めた身内にだけ、命を懸ける。
彼は何よりも身内を大事にする。友達、仲間、家族。
彼は私のことを友達だとも仲間だとも言ってくれた。私にとって初めての「友達」だったのに・・・

「わかり、ました・・・」

結局、この椅子に座っている限り、結果は変わらない。
昨日初めて会ったあの子はとてもいい子だった。
私は彼女も裏切るんだ・・・

「では、この鍵を彼にお渡しください。一度は彼を捕らえなければならなくなるでしょうが、問題ありません。
レイチェル・シギュン・オルトリンデがちょうどよい足枷になってくれるでしょう。彼女のほうはまた牢獄に
戻ってもらうことになるでしょうが、彼はすぐ釈放できます。大事な戦力ですからね」

「・・・・・・・・・はい」

結局私は、人形のように、ただ頷かされるだけなんだ・・・









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結局、夜になってヤファを連れて散歩に出ることにした。
幸い、教会指定の聖衣を着ているので怪しまれることもないだろう。

「さて、どこ行こうか」

「教会は?」

「さすがにそれはまずい」

「だったら前通るだけでいいからー」

うーん、それならいいか。いざとなったら、いや、とりあえず気をつけてれば平気だろう。

「じゃあ、プロンテラ一周しちゃおうか」

「いいねー、ごーごー」

そんなわけでプロンテラの町を時計回りに一周回ることにした。
やっぱりプロンテラといえども日付が変わったばかりの深夜は静かなもので、
もちろん全く人通りがないわけではなかったけど昼間と比べると夜はフェイヨン並だった。

リオンたちのようなの靴と違ってボクのもヤファのも石畳でもあまり音を立てないで歩くことができる。
・・・・・・そういえば、ヤファは靴とかどこで手に入れたんだろう。
いや、そもそもボクと再会するまでの生活の仕方はどうやって覚えたのだろう。
よく思い出してみると、確かに知らないことも多いけど、生活に必要な知識は持っていた。
フェイヨンダンジョンにいた頃から?いや、それはないか。

「ヤファ、今更なんだけどさ」

「なにー?」

「フェイヨンでさ、誰かに村での生活について教えてもらった?」

「あれ、話してなかったっけ?あのね、隣に住んでる人から教えてもらったんだよ」

隣、というとジンさん一家の誰かだろうか。それともイリアさんか?

「あのさ、男の人?それとも女の人?」

「女の人だよ〜。てゆうかね、リルの家に住んだらいいって教えてくれたのもその人だったよ」

「イリアさんかな?その、だらしない格好だった?」

「だらしない?ん〜〜、そうかも。でも、そういえば名前知らないよぉ」

「どうして?」

「わっかんない。でも聞いたことはあった気がするけど。どうしてだろうね」

う〜ん、フェイヨンではゆっくりできなかったから挨拶にもいけなかったし。
そういえばまだいるのかな。あんまり家に居る人じゃなかったからなぁ。

「その人はまだ隣に住んでた?」

「え?わっかんないけど、最近は会ってなかったかも」

「そっか」

それにしてもあの人、ヤファの正体わかっていたんだろうか。
なにやってるのかわからない人だったけど、なんとなく魔術師風だったから。
本人に尋ねたこともあったけど、いっつもはぐらかされてたからなぁ。
結局あの人の仕事ってなんだったんだろう。

「ま、いっか」

「??」

ヤファは疑問符を顔に浮かべていたけど、別にたいしたことでもないし、よしとしよう。
いつのまにかお城も過ぎて、大聖堂が見えてきたし。












結局、ただプロンテラの外周通りを一周しただけで夜の散歩は終わりになった。
ネンカラスには門限はないので鍵の心配をしなくてもよかったけど、明日はお城に行かなくてはいけなし、
今夜はあんまり眠れそうもないけど、ベッドにはいることにした。

ヤファはそのまますぐに寝てしまい、ボクは一人枕もとのランプをともして読書をしていた。
本はネンカラスに常備してある貸し出し用の本で、お金を500z払って貸してもらったものだ。
ちなみに本を返せばお金は戻ってくる。本のほうが明らかに安いので、本を必ず返してもらうためのいい案だと思う。

今日借りてきたのは何故か置いてあった魔術の基本書。
魔術体系が書物にまとめられてからそれほど経っていないけど、もう宿屋の貸出本にまでなったらしい。
まぁ最近とはいってもボクが生まれる前の話だからおかしくはない。

聖職者としては何回でも聖書を読むべきなのかもしれないけど、やっぱり色々な方面の知識は大事だと思う。
トリスタン1世の書いた兵法書『対魔族、対人間の戦略と戦術〜基本編〜』も読んだし、
悪名高い魔術師ブラック・アニスの『魔術論』も読んだことがある。
後者はやっぱりボクには難しかったし、単語レベルでわからないものもあったけど、
やっぱり戦闘で役に立つことも書いてある。
そして魔物考察分野の権威、ミントンの書いた本は何度も読み返し、暗記した。
敵のことも知らないと簡単に命を落とすことはよくわかってる。
『ミントン魔物観察記』が必読書としてあらゆる教育機関で取り入れられているのもそのためだ。
この魔物観察記、これを書いた彼はいったいどうやって敵のことを調べたのだろう。
毒のある魚のどの部分が毒なのかを調べるよりもずっと大変なことだと思う。
しかもこの本、伝説級の魔物、幻獣、聖獣の項目があるのだ。
さらに、この本自体は初版からまだ20年くらいしか経っていない。
つまり「ミントン」はもしかしたら今も生きているのかもしれない。
もし会えるのなら一度会ってみたい。
アルベルタ出身のプリースト、リスティア・エディアールさんと同じくらい会ってみたい。
リスティア・エディアールという人はかなりのご高齢で、プリーストとしての地位は高くはないけど、
本当にすべてのアコライト、プリーストが知っている人だ。
現在はどこでどうしているのかはわからないけど、そういえば前に噂を聞いたことがある。
プロンテラの西の泉に一年に一度だけ姿を見せる、と。

本当だろうか。もし本当なら、いつかはわからないけど一年中会えるまで通ってもかまわない。
もちろん今は無理だけど、叶えたい願いではある。今度ノエルにでも聞いてみよう。
もしかしたら何か知っているかもしれないし。
いや、こういうことはマナちゃんのほうが知ってそうだ・・・

そんなことを考えているといつのまにか持っていた本が閉じていた。
無意識に閉じてしまったのだろう。ちょうどいいので今日は眠ろう。














そして次の日、前日の睡眠時間が長すぎたのか、ほとんど眠れないまま太陽は真上に来ていた。
今日もいつの間にかヤファが買ってきた朝食を食べ、ヤファに留守番を頼み、リオンを迎えに騎士団本部に向かっていた。
さすがにこの時間は人通りが激しい。
中央通りから比べるとそれでも少ないほうだけど、人波が途切れることはなかった。

プロンテラの北西地区に騎士団本部はある。ちょうど本部へ通じる通りに差し掛かったとき、
本部のほうから歩いてくるリオンの姿が見えた。
向こうも気づいたらしく、ほんのすこし歩調を速めて近づいてきた。

「遅いからまだ寝てるのかと思ったぞ」

「遅いって言われても、時間決めてなかったし」

「ふむ、そうだったか」

「でも、この時間で大丈夫だったのかな?お昼過ぎならいつでもいいって言われたけど・・・」

「じゃあ大丈夫じゃないか?最近は会議も全然ないし、正直暇してるのかもな」

リオンの言ってる会議はたぶん作戦会議とかそっちのほうだろう。それはなくて当然だ。
お城で開く規模の会議なんて戦争中にしかないんだから。
でも、大臣を集めての会議ならあるとは思う。
でも普通はリオンくらいになると情報が入るはずだから本当にないのかもしれない。

「じゃあ行くか」

「そだね」

ボクたちは二人連れ立って王城に足を向けた。
















玉座の間。
跪いてトリスタン王を待つ。王の代わりのルミナ姫という可能性までは考えていた。
だけど、そこに現れたのは昨日会ったばかりのレナ。第二皇女レナ・アルカディア、唯一人だった。
いや、もちろん王族以外の人間なら数人居た。
レナと共に現れたルーさん。教育係とはいえ一緒だとは思わなかった。
彼女のことはよく知っているけど、さすがにこの部屋で気軽に挨拶なんてできない。
あとは鎧の装飾からもわかる第一騎士団の騎士たち。
そして、数名の大臣たち。正直、彼らのことはあまり好きじゃない。

隣に居たリオンも訝しいと思っていたようだったけど、声には出せなかった。
だけどどう考えても今日はおかしい。王様もルミナ姫もいないのに第一騎士団の隊長がいない。
謁見の際は必ず王様と第一隊長。もしくはルミナ姫と第一隊長。そのどちらかの組み合わせだった。
少なくともボクの知っている限りは。
ちゃんと理由はある。この二つの組み合わせなら、例えボクとリオンが王族殺しを企てたとしても失敗に終わるからだ。
聖剣グラムを携えた王族とフィアナ試験に主席で合格したフィアナ隊とも言える第一騎士団の隊長。
敵うわけがない。先の大戦でそれはボク自身実感している。

なのに、レナは聖剣も持たず、シオン隊長もいない。
聖剣は確かに今はトリスタン王が持っている。いや、すでにルミナ姫に受け渡されているだろう。
王権の象徴たる聖剣。事実上、ルミナ姫が今の王なのだ。
だからレナが持っていないのも頷ける。絶対的な決まりではないのだろうし、レナには色々な意味で重い剣だろう。
だったら、シオン隊長がいないのは?
今まで外に居たボクにはそこまではわからない。

でも、確かにリオンとボクなのだから、警備はそこそこでいいのかもしれない。
そう納得するしかなかった。

「リル・ローゼリア。貴方の今回の功績を認め、望みどおりこの鍵を与えます」

レナが王座に座り、最初にそう言った。
今回の功績・・・ポリン島のことだ。
リオンが色々と裏で手を回してくれたのだろう。
でも、鍵って・・・

「トリスタン三世の名において、レイチェル・シギュン・オルトリンデに特赦を与えます」

「え?」

思わず言葉を漏らしてしまった。あまりにも意外なことだったからだ。
今日、言葉を許されたら願い出るはずだったこと。
いくら裏で話を通してくれていたとしても、まさかこんなに簡単に希望が通るなんて思わなかった。

「受け取りなさい」

そう短く言うと、レナはルーさんに鍵を渡し、ボクのところへ届けさせた。
ルーさんの手から鍵が手渡される。

「では、リル・ローゼリアは下がりなさい」

レナは慇懃にそう言った。その言葉の後にはもう視線すらボクには向けられていなかった。
よく考えたらこの王座の間でレナの言葉を聞いたことはなかった。
そう思ったらレナが第二皇女として立派に役目を果たしているのだ。
そうだ、昨日は昔みたいに騒いで、楽しくみんなで飲んでたんだ。
だったらこれは喜ばしいことだ。
正直レナが王族の一人としてやっていけるのかどうか、ボクも少し不安だったんだから。

結局ボクは言われるまま、といってもそれしかなかったけど、リオンを残して退出した。
少しだけリオンだけが残されたことが気がかりだったけど、リオンも副隊長の身だ。
きっと色々面倒ごともあるだろうし、今ボクにできることはレイチェルさんを迎えにいくことだけだ。




王座の間から出ると一人のプリーストが近づいてきた。
見たことない顔だったけど、これから言う内容はだいたい予想できる。

「リル・ローゼリア殿でいらっしゃいますね?」

見かけどおりの真面目そうな声で聞いてきた。ボクより少し年上だろう。
ボクと同じ聖衣を纏い、ロザリオを服の上からかけていた。
王城のプリーストで男性も珍しい。王位継承者が二人とも女性だから必然的に王城勤務は女性中心なはずだ。
それでもここにいるということは誰かの後押しか本人の能力か・・・

「あの・・・」

「あ、はい。そうです、プロンテラ大聖堂司祭、特別調査役リル・ローゼリアです」

直ぐに答えなかったので相手も変に思っただろう。
思考と発言を同時に行えないというのは結構不便だ。

「私はディータ・ベルゼルクスと申します。私がアルベルタまでお送りいたします。それと復路もありますのでしばらく
 同行させていただきます。それとこちらの書状をお持ちください。では、開いたらお乗りください」

「あ、ちょっと」

と言ったときには遅かった。自己紹介から用件まで一気に済ませると、ディータさんは既に詠唱に入っていて、
あっというまに扉を開いてしまった。真面目なのか自分勝手なのか、微妙なところだ。
ヤファに一言言ってから行きたかった、というか一緒に行くべきだったのに・・・
でも、さすがにもう一度お願いしますとは言えず、直ぐ帰ってくればいいやと、そのまま扉に飛び込んだ。














出たのはちょうどアルベルタの入り口。カプラ社の出張窓口係の人やプロンテラから派遣された兵士たちがいる。
思えば一週間と少し前にここを通ったばかりだ。またここに戻ってくるのは正直もっと先だと思っていたけど・・・

「では、まずはエディアール家に参りましょう」

「え?」

「あの牢獄の管理はエディアール家に委任してあるのです。ご存知でしょう?ローゼリア殿も直接ではないかも
 しれませんが、面会許可を得たのですから。案内役もエディアール家の使用人かなにかだったはずです」

なるほど。確かに道案内をしてくれた人はそんな雰囲気だった気もする。面会許可自体はなんだかよくわからない
うちに取れたからエディアール家が係わっていたのは知らなかった。手続き自体はクレスがほとんどやってくれたし、
ボクはそういえば食料とかの補充をしてたんだった。

「エディアール家というと、あの?」

「当然です。事実上アルベルタ地域の管理はエディアール家に一任されています。ですから、王国から許可が出た
 とはいえエディアール家を通さなくてはなりません。先程お渡しした書状はそのためのものです」

「そうだったんですか。ボクはてっきり看守さんに渡すのかと思ってました。でもそうですね、そういえばあのときの
 書状にもエディアール家の紋章が入っていたような気がします」

「そういうわけで、これから手続きとご挨拶に向かいます。ですから私一人でもかまわないのですが・・・」

ディータさんはそこで言葉を止め、ボクの顔を窺った。

「いえ、付いて行きます」

「えぇ、では参りましょう」

ディータさんもボクと同じようにこれはいい機会だと思ってるのかもしれない。
エディアール家といえばあのリスティア・エディアールの実家でもある。
まさに僥倖。もしかしたら、会えるかもしれない。
会えなかったとしても、現在の居場所がわかるかもしれない。
それを期待しないプリーストはあまりいないだろう。












と、そこそこ期待していたのは間違いだった。
大きな屋敷の応接間に通され、使用人が何度か飲み物を持ってきて、その間に何時間も経っていた。
割と待たされるのには慣れていたけど、結局エディアール家の使用人にしかボクは会えなかった。
陽も落ちてきた頃、ようやく応接間に現れたのは50歳くらいの男性で、たぶん使用人の中では一番偉いのだろう、
ボクが持っていた書状を受け取って一度部屋を出て、戻ってきたときには「用件は承りました」と
いまいち納得のいかない言葉だけを渡され、そのまま屋敷を追い出されるようにあとにした。


「正直あんなものですよ。エディアール家の人間はいなかったかもしれませんし」

「・・・・・・確かに」

よく考えてみれば、今日は休みでもないし家にいたとは限らない。
いまいち引っかかるものはあるけど、まぁそれでも一応は目的を達成できたのでよしとしよう。
レイチェルさんとの約束を果たせるだけで十分だ。それ以上望んでもしょうがない。
求めるところは少なく、だ。

「少し遅くなってしまいましたね。急ぎましょう。道は知っていますから。あ、ローゼリア殿も知っていましたね」

「えぇ、なので最大速度で行きましょう」

「では・・・」

ディータさんもボクも同じ詠唱にはいる。
最大速度、というのはつまりそういうことだ。
少なくともペコペコを走らせるくらいの速度で走れる。
ほぼ全てのアコライト、プリーストが使える能力だ。
急いでいるときはこれを使わない手はない。長距離だとちょっと疲れるけど。














だんだんと暗くなっていく森はなんだか数日前を思い出す。
最初は街道沿いに西へ。しばらく行って少し南下。続けて再び西へ。
整っていないとはいえ一応人の通る道は途中まであった。しかも二度目で道もわかる。
結局途中一度もモンスターに教われることなく、無視してきたっていうこともあるけど、
陽が完全に西に落ちたころには目的地に着くことができた。

「さすがに・・・疲れますね」

アルベルタを出発してからほとんど走りっぱなしだった。
ここまで急ぐ必要はなかった気もするけど、やっぱり一刻も早く牢から出してあげたいと、
たぶんそう思っていたんだろう。途中からディータさんを先導する形になっていた。

「私は・・・その・・・・・・死にそう・・・です」

「でも、ぎりぎり真っ暗な中進むことにならなくて済みましたし」

「そう・・・ですね」

見るからに疲労困憊のディータさん。途中一回くらい休憩したほうがよかったかもしれない。
やっぱりまだ終わりとはいえ夏だから走れば暑い。
そういえばレイチェルさんに会った日は今日よりもずっと暑かった。
一週間とはいえ秋に近づいてるのだろう。
今は日も長く野宿できるくらいに暖かく、そして走り回れる程度の暑さ。
春の終わりと秋の初めは心地いい

「あの、ボク行ってきますけど。休んでますか?」

きっと同行するだろうと思ったけど一応聞いてみた。
それくらい疲労が明らかだった。

「はい、私はここで待っています」

だからそう返されて意外だった。
でもボクだけ行けば済むことだろうと判断したのかもしれない。
とにかく、この鍵を持っていけば。約束を果たせる。

「じゃあ行ってきます」

「はい」

彼がうなずくのを見てボクはレイチェルさんの待つ場所へと向かった。
知らなければここが牢屋として使われているとは思わないだろう。
土地の隆起した崖に穴を掘り、そこに部屋を作っているのだ。
思えばたいした技術と費用をかけていると思う。
でも、国の思惑はどうあれ、ただの冷たい牢獄よりも、あの不思議な部屋のほうがましだとは思う。
六年と半年。
閉じ込められて暮らすにはあまりにも長い。
正直、どういう風に思えばいいのか分からない。







洞窟の入り口からしばらく直線が続く。
前来たときと同じように一定の距離に松明が灯っていて明かりに不自由はしない。
床もきれいに平らになっているので足元に気をつけなくても歩ける。
そこでふっと気づいた。きっとこういう部分には気をつけなくてはいけない。
右手の指を壁に付けたまま目を閉じて数歩歩いてみた。
なるほど、床が平らだということはとても安心できる。
そのまま壁から指を離して数歩、なんとか歩ける。
と思った瞬間いつの間にか左の壁に寄っていて肩をすってしまった。

「・・・難しい」

これはもしかしたらとてつもなく大変なことなのかもしれない。
でも、ときどき目隠しをして歩いてる人がいる。
あれは実は見えてるのか、それとも何かいい方法があるのか。
・・・・・・・・・今はレイチェルさんを連れ出すことが先決だ。
そう考え直して洞窟を進んだ。

やがて下りの階段が現れた。階段の下は明るくなっていた。
降りたところが、牢屋になっているのだ。もちろん守衛の部屋もある。
ボクはゆっくりと階段を下り始めた。


階段を降りたところで守衛さんが待っていた。
前来たときと同じ人だ。白髪のお婆さんで顔を見るだけでその暖かな人格が窺える。
顔を見る限りボクが、というか誰かが来るということを知っていたみたいだ。
そもそもちょくちょく人の来るような所じゃない。

「待っとったよ。あんたこの前来た人じゃろ?二度来る人もなかなかおらんでの。こんなに早く来たんは初めて
 かもしれん。連絡はもらっとるよ。書類でな。まさかわしが生きてる間に叶うとは思わなんだ。どれ、鍵を見せて
 くれるかい?」

「叶うというのは?」

ボクはルーシーズさんから受け取った鍵を渡しながら聞いた。

「うむ。プリースト様ならわかってもらえるんではないかと思うんだ。わしはあの娘がここに来たときから視とるで。
 よーわかる。あの娘はこんなところに何年も閉じ込められるほど悪い人間じゃない。んにゃ、レイチェルちゃんより
 いい娘なんぞ見たことないわい。いくら仕事とはいえ、この六年半、辛かったんじゃ」

本当に辛そうな顔をしてボクに鍵を返してきた。

「・・・・・・ボクも、そう思います」

「あぁ、ありがとう。ここから連れ出してくれる人がいつか来ると、わしも信じておったよ。それが叶ったんじゃ」

そう言ってうれしそうに微笑む守衛さん。
きっとレイチェルさんがここで生きていられたのはこの人のおかげなんだろう。


「その鍵は持っているだけでいいはずじゃ。さぁ、早く迎えに行ってやっておくれ。わしもまだ言ってないんじゃ。
 ぬか喜びさせるようなことになっては、と。じゃが、それも杞憂になった。今日プリースト様が来たおかげじゃな」

そう言いながら守衛さんは牢へ続く扉の鍵を開けた。
そして、ようやくボクは、この鍵の持つ意味を実感することができた。
一秒でも早く外へ連れ出したい。心臓が鼓動を速めていた。

「はい」

ボクはしっかり頷いて答え、扉を押し開けた。












「はお、レイチェルさん」

「あれ・・・リルくん・・・?この前来たばっかり・・・だよね?」

数日前と全く変わらない様子のレイチェルさんがいた。
今日も部屋の奥にある椅子に座っている。
ここにいては細かい日数なんてわからないだろうけど、確かに数日しか経ってない。
これだけ短い間に再び訪れる人間はいなかっただろう。
彼女の微妙な表情からもそれが窺えた。

「うん、まだ一週間くらいだよ」

「そっか、とりあえず座って?人が来るなんて聞かされてなかったからびっくりしちゃった」

多少ずれてはいたけど、ボクの方に視線を向けて小さく笑った。
本人は気づいてないだろうけど、割と考えてることが顔に出るタイプだ。
もったいつける気もないから早く言ってしまおう。

「今日は座らないよ。直ぐ行くから」

「あ・・・そうなんだ。しょうがないよね、忙しいもんね」

「うん、忙しくなるよ。今日からレイチェルさんといろんな所に行かなくちゃいけないから」

「やっぱりそうだよね・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・え?」

「今気がついたんだけどさ、服とかいろんなの揃えないといけないよね。ヤファじゃわかんないだろうし、
 ノエルにでも相談したほうがいいかな。女物の服ってよく分からないし・・・」

「それって・・・冗談・・・なの?」

「・・・・・・・・・レイチェルさん」

「・・・・・・何・・・?」

表情を窺うと、ちょっと怒ってるようにも見える。
もっとわかりやすく言った方がよかったかもしれない。
でもきっと単刀直入に言っても信じてもらえないだろうし。
だからって遠まわしに言っても信じてもらえるわけない。
こういうときは実行あるのみ。


「手だして」

「・・・・・・・・・」

ボクは近づいてボクの言葉に従うかを迷っているレイチェルさんの右手を握り、軽く引いた。
小さく悲鳴を上げてレイチェルさんは立ち上がる。
ボクよりほんの少しだけ小さな身体がそのままボクのほうへ倒れこんできた。
それをちゃんと受け止め、レイチェルさんが自分の足でちゃんと立ったのを確認した。

「行こう、手を引くよ。外に出るまで」

「ちょ、ちょっと待って、痛いよ」

「ごめん、後でまた謝るから」

そのままレイチェルさんの手を少し強く引いて歩き出した。
どうせなら昼間のほうがよかったかもしれない。
それが少し残念だったけど、もう待てない。




レイチェルさんを閉じ込めていた部屋から出ると、正面の壁に張り紙が貼ってあった。
あのおばあさんのメッセージが書いてある。
なるほど、用意してくれてたんだ。

ボクたちはそのまま階段を上り始めた。
ゆっくり、彼女が踏み外さないように気をつけながら。
そして階段が終わり、薄暗い通路を進む。
逸る気持ちを抑えるのが大変だった。
二人とも牢を出てから一言も言葉を発していない。
牢獄と外をつなぐ空間は、海の底から海面へ浮かび上がる海中のようだ。
今は太陽は見えないだろうけど、その残滓を肌に感じることはきっとできる。

洞窟に響く二人分の足音。
出口はすぐに見えた。
今、初めて出口になる外との境界線。
暗くても、やっぱり外は明るいのだ。
もうすぐそこを抜ける。
言葉にしたい気持ちをこらえて、少しずつ歩調を速めた。

一歩一歩、だんだんと変化を伴う空気に変わってゆくのがわかる。
彼女は感じてるだろうか。きっと感じてる。
握った手は少しだけ硬くなった。

そして・・・









さっきまではあまり見えなかった星が、今はもう空を埋め尽くしていた。
空気に温度を感じる。まだ夏はかろうじで残っていた。

「・・・・・・・・・風が、見える」

それがレイチェルさんの最初の言葉だった。
ボクは引いていた手を緩め、今度は彼女の横に立った。

「太陽が出てないのが残念だけど、でも・・・・・・」

「・・・星と月が出てる」

「うん、欠けていく月が見える」

「・・・夏が少し残ってる」

「うん、秋も近いけどまだ夏だよ」

「・・・・・・わたし、ほんとは期待なんてしてなかった。待ってるって言ったのに、半分諦めてたの」

「・・・レイチェルさん」

ボクは手を離し、レイチェルさんの正面に立った。

「・・・うん」

彼女は盲た、それでもなお綺麗な目でボクの顔を見た。
一瞬目が合ったように思えた。

「約束を果たすよ。これから先ずっと果たし続ける。一緒に旅をするっていう約束だったよね」

「うん・・・そう、そうだよ。それが約束だった」

「ボクの旅の仲間になってくれる?」

「うん、わたしを・・・旅の仲間に・・・して」


そうして座り込み、泣き出してしまったレイチェルさん。
正直女性の涙は苦手だったけど、この涙は嬉しいと思えた。
座り込む彼女に近づいて抱きしめたのは先に外に来ていたお婆さんだった。
お婆さんの立っていた場所には小さめのカバンがあった。
今日のような日を待ち、レイチェルさんがいつ解放されてもいいように準備をしていたのだ。
言葉にはしなかったかもしれないけれど、きっと今日という日が来ると信じて、
辛い日々だったレイチェルさんを励ましてくれていた。
抱き合う二人を見ていて、それがよくわかった。






ボクは二人から離れてディータさんの座っている場所に行った。
彼は少し離れた場所で二人を見ている。
ボクが近づいてもその視線を外すことはなかった。

「どうしたんですか?」

「いえ、あの女性がレイチェル・シギュン・オルトリンデなんですよね」

「えぇ、そうです」

「・・・・・・そうですか」

「何か?」

「・・・いえ。ところで、あのお婆さんの家はアルベルタの港町だそうです。送っていきますか?」

「それは、もちろんですけど。今からだと・・・」

「ジェムストーンなら予備がありますから。あと二つですが、他に寄り道をしなければ平気です。
 一応聞いておきますけど、持ってないですよね?」

「残念ながら。流通してるにはしてるんですが、さすがにあの値段だと買えないですし」

「羽は?」

「それこそ絶滅危惧種じゃないですか。クリーミーなんて子供の頃に一回見ただけですよ」

「そうですね、私も一度か二度くらいです。他にも調達する手段はあるみたいですけど、絶対量が
 やはり少ないですからね。現在では国で管理しています」

「えぇ、ですからボクも旅の間はずっと徒歩でした。戦争前では考えられなかったですけど」

「・・・戦争ですか」

「・・・・・・・・・・・・・・・」

「失礼ですが、ローゼリア殿のご両親は」

今更だけど、正直「殿」はやめて欲しい。

「居ません。父は大戦で。母のことは知らないんです」

「私も同じです。我々の世代では孤児なんて珍しくもないですね」

「そう、ですね」

大戦、戦争、二つの大きな戦いがあった。
1014年大戦は十年以上前。プロンテラの北と南西からモンスターが押し寄せてきた。
モンスターたちの侵攻が始まったのがいまから十四年前。
それから二年半もの永きに渡って一進一退を繰り返した。
ボクはまだ走り回れば転んでしまうような歳だった。
父はその戦いで死んだ。
大戦の終結するほんの数日前のことだったそうだ。
そのことを聞かされたのはいつだっただろう。
そうだ、姉さんがプロンテラに行くときだった。
フェイヨンを出て行く前の晩。そう、よく覚えている。いや、思い出せる。
ボクは・・・たぶん分かっていたのだろう。
姉さんと同じように、涙は流さなかった。




「さぁ、そろそろ行きましょう。実は今日はアルベルタの宿に泊まる予定になっているんです」

「え、プロンテラには帰らないんですか?」

「はい、言うのが遅れましたが宿はもう予約済みです」

「そうなんですか・・・」

はっきり言ってしまえば今日中にプロンテラに帰りたかった。
ヤファに何も言わないで出てきたのに。
でも、さすがに今はジェムストーンは貴重品だし、送ってもらう立場だから、言えない・・・

「先日アルベルタに貿易船が入港したそうです。ちょうど明日から大きな市があるそうですよ?」

市、なるほど。それはもしかしたらちょうどよかったのかもしれない。
掘り出し物もあるかもしれないし、どっちにしろヤファにお土産でも買っていかないと。
貿易船ということはアマツかコモド、シュバルツバルドならどこでも面白いものが見つかるだろう。
アルデバランに行ったのも随分前だしどこの船でも楽しめそうだ。
お婆さんにお礼の意味も込めて贈り物をするのもいいかも。

「わかりました。それじゃあ、行きましょう」




それからボクたちはディータさんのポータルに乗ってアルベルタに帰った。
ボクとお婆さんがレイチェルさんを挟んで二人で杖の代わりをした。
とりあえずしばらくはこうして手を引いて歩くことになりそうだ。
プロンテラに帰ったらまじめに考えなければいけない。
この際わがままをいって物資輸送用のペコペコでも借りてみようか・・・


お婆さんの家はアルベルタの北西部にある宿から南へ下ったところにあった。
家では家族の方たちが迎えてくれた。
一晩泊まって行ったらどうかと誘われたけど、宿もあったしそこまで甘えるのも悪いので、また翌日伺うことした。
だけどレイチェルさんがどうしてもお婆さんの家に泊まりたいというので、レイチェルさんのことはお願いして、
ディータさんとボクだけで宿屋に泊まることにした。
部屋は二部屋とってあって、いずれも二人部屋だった。
予約していたのでキャンセルするよりも二人で二部屋使ったほうがいいということになり、
プロンテラの宿よりも質のいい部屋に今日はボク一人になった。

時刻は夜の11時。食事も軽く済ませ、ボクはベッドに仰向けになっていた。
とりあえずヤファのことは平気だろう。一応ボクがいないときのことは言ってあるし、
リオンにもそれとなく様子をみてもらうように頼んである。
そういえば、あの後どうなったのだろう。リオンだけ残されてまだ話があったのだろうか。
あったとしてもボクにはきっと関係ない話だ。考えても分からないし、平気だろう。

クレスは無事にゲフェンに着いただろうか。さすがに早すぎるか。
一人旅は初めてじゃないし、危険なルートでもないので心配ないはず。
ゲフェンに着いてからのほうが大変だろうけど、クレスなら上手くやるだろう。

レイチェルさんのことはどうするか。
今日少し見たところ、平坦な道なら問題なく歩けそうだった。
きつい道のりのときはヤファとボクでなんとかなるだろうか。
しばらくは少し歩き回るのに慣れるようにプロンテラに留まろうか。
幸い宿自体は予約もしてあるし、宿代は前払いで数日分ネンカラスに入れてある。
どっちにしろ数週間はゆっくりしてもいいかもしれない。
思えばクレスがフェイヨンに来て以来一箇所に留まっていたことなんてなかった。
長くて4日くらいだろう。戦闘と移動がボクの時間のほとんどだった。



ベッドに仰向けになったまま思考をめぐらせていたとき、突然ノックの音がした。
ちょっと遅いけどディータさんだろう。
ボクは立ち上がり部屋の扉を開けた。

「寝てなかったのね、よかった。ま、寝てたら寝てたでも同じだったわね」

そこに立っていたのはさっき別れたばかりのレイチェルさん唯一人。

「レイチェル、さん?」

どうして彼女がここにいるのか混乱しているうちに、彼女は何も言わずボクの部屋に入ってきた。
そして二つあるベッドのうち手前のほうに座り、ボクに初めて見る怪しい笑みを浮かべた。

「あの、もしかして目、見えてるんじゃ・・・」

「目?あぁ、なるほどね。どうりで疲れると思ったわ」

その口調も物腰も表情もさっきまでとは全然異なっていた。
というか、これは誰だ。姿かたちはレイチェルさんだけど、でも・・・

「誰?」

「あら、さすがに分かっちゃったかしら?当ててみる?わたしのな・ま・え」

そう言って微笑む彼女。
ボクは混乱していた。それはもう内心大変なことになっている。
あぁ、でもそうか。この感じは・・・

「もしかして・・・・・・・・・アルメリア?」

「ん〜〜〜〜〜〜〜??ん〜〜〜〜〜、正解っ!」

「じゃあ、本物のレイチェルさんは・・・」

「あ、この身体は本物よ。ちょっと借りてきちゃった」

つまり、身体を乗っ取ってるっていうことか。

「・・・・・・アルメリア」

「やだ、勘違いしないで。別に何かしようって云うわけじゃないのよ?寝てなかったら面倒だし、
 どっちにしろ連れてこないといけなくなるなら私が連れてこようかなって。サービスよ?」

「連れてこなくちゃいけなくなる?」

「そうそう、どうしよっかな。先に・・・プロンテラだっけ?あそこに戻ってもいいんだけど、
 説明してからじゃないと行ってくれないかな。あのね、リルと一緒に月夜花いたじゃない?
 あの子がね、ちょっとヤバイかもしれないのよ。うん結構まずい感じ?」

「ちょ、ちょっと待って、ヤファがどうしたの?」

「急がないといけなそうだからバッサリ略しちゃうけど、お城に連れて行かれちゃって、
 たぶん消されちゃうわ。今あそこって私たちにとっては相当危険なのよ。だって、ほら
 あの忌々しい女プリーストがいるでしょ?フォルセティの次女」

フォルセティの次女・・・ルーシーズさんだ。

「それじゃあ、ルーシーズさんに・・・捕まってる、そういうこと?」

「捕まってるっていえばそうね。でも、捕まったらもうその次はないんじゃないかしら。違う?」

そうだ、アルメリアの言うとおり、相手が彼女だとしたら、消されるだけだ。

「でも、そうだ。レナがきっと時間稼ぎを・・・」

「あ、それはないわね。だって、あの子を連れ出したのってそのレナとかいうお姫様だもの」

「まさか・・・」

レナがヤファを?だって昨日は二人仲良くしてたのに・・・

「ま、本人だったとは限らないけどね。私もある人からそうなんだって聞いただけだから」

「誰から聞いたって?」

「秘密。でも、その人に頼まれたからこうして来たのよ」
 
もしこの話が本当なら、一刻でも早くプロンテラに戻らなくちゃいけない。
でも、レナがお城へヤファを連れて行くわけない。どうなるかなんてわかってるはずだ。
レナだってヤファと友達になったんだから。

「私の話は信じられない?」

アルメリアはそんなことを微笑みを浮かべて聞いてくる。

「・・・・・・いや、逆、かもしれない」

彼女がわざわざ伝えに来る意味、戻れば本当かうそかわかるようなことで騙しても意味がない。
そうだ、戻れば・・・だけど、ジェムストーンがない。ディータさんは知っているのだろうか。

「・・・あ」

そうだ、わざわざアルベルタに泊まったのは・・・ボクを足止めするためだったんだ・・・
でも、そうなると、きっと今日はなにがあっても帰らせたりはしないはず。
どうしたら・・・

「はい、これが必要なんでしょう?」

アルメリアは立ち上がり、ボクの目の前に青い宝石を差し出した。
どうして持っているのか、今一番必要なブルージェムストーン。
もしかして、レイチェルさんが持ってた?

「どうして?」

「隣の部屋の人間がちょうど持ってたのよ。軽く眠らせて貰ってきたの。さぁ、他に必要なものはある?」

「いや、十分だよ。ありがとう」

「ふふ、どういたしまして」

レイチェルさんの顔で妖艶に微笑んだ。

「それじゃあ、うまくいったらまた会いましょ。・・・うまくいかなくても会いに行くわ。そのときは慰めてあげる」

「大丈夫、必ず助けるから」

「そう。残念ね。私この身体のままじゃ飛べないから返すわ。しばらくは起きないからちゃんと連れて行ってね」

「わかった」

「じゃあね〜ん」

そんな軽い挨拶を残してアルメリアはレイチェルさんの中から消えていった。
そのとたん彼女の身体が倒れそうになり、それを両手で受け止めて背中に負ぶった。
軽い。彼女の体は驚くほど軽かった。ボクはそのままの体勢でポータルを開いてプロンテラへと飛んだ。











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