第9話 静けさの後に








目を開けると空を背景にして、クレスとヤファの顔が見えた。

「リルっ平気!?」

「ん、大丈夫」

クレスが怖いくらいの勢いで問いかけてくる。
心配事があるときは怒っているように見えるのが彼女の特徴だ。

「ね? 平気だって言ったでしょ?」

ヤファはクレスにそう言った。
もしかしたらボクの状況が分かっていたのかもしれない。

「ねぇリル、何があったの? 待ってても全然来ないし、探しに来たら倒れてるし、寝てるだけみたいだったのに
起しても全然目覚まさないし、どうしようって思ってたんだから・・・」

「うん、ごめん。心配かけて」

ボクは二人に謝った。

「平気平気、わたしは大丈夫だってわかってたよ。夢見てたんだよね? リルの中にもう一人感じたから。
えっと、確かサキュバスっていう悪魔族の女」

ヤファのその言葉を聞いて、クレスの表情が固まった。

「サキュ・・・バス・・・」

そうそう、確かそんな名前だった。

「ねぇ、リル。サキュバスに夢を見せられてたの?」

ちょっとクレスが怖い。

「あ、うん、そうみたいだね」

ボクの言葉にクレスの顔が赤く染まった。

「え、だって、サキュバスって、あの・・・だって、そんなの・・・うそ、やだ・・・」

こうしてクレスは使い物にならなくなった。
夢の内容を説明しようかとも思ったけど、今はそれどころじゃない。
クレスは放っておいて、ボクは立ち上がった。

「ヤファ、髪飾り外しておいたほうがいいかもしれない」

「うん、やっぱりそうだよね。西の方から何か来るみたいだから。一つ一つはたいしたことないけど、
数が ちょっと多いみたい。ちょっとわたしも本気でやるね。まだまだ来ないけどね」

そう言って髪飾りを外し、ヤファも立ち上がる。
すると、ボクにもわかるほどヤファから魔力が外に流れ出した。
クレスはまだうつむいて、サキュバスサキュバス、と繰り返していた。

「そういえばククルさんは?」

「北のほうで弓手村の人たちを見つけたの。でもみんな眠ってたから、ククルが付いてる。怪我はしてないけど、
 生命力が少なくなってるから目を醒まさないみたい。リルが行って回復してあげて」

「わかった。よし、クレス、クレスー。・・・クレスっ!」

「え、あ、うん、何?」

3回呼んでやっとこっちを向いた。
まったく、それどころじゃないのに。

「ククルさんのところまで走るよ。弓手協会の人たちは逃がして、ボクたちは西の橋を渡って、橋を守る」

「橋を? どうして? 誰か攻めてくるの?」

「うん、橋を落とそうとしてるのかどうかはわからないけど、ボクの予想だとたぶん」

「わかった。ククルさんのとこに急ご」

ボクたちは頷きあい、ククルさんのいる場所にヤファが案内する形で急いだ。
途中一匹もポリンやポポリンなど、この島に普段は溢れるほどいるモンスターにも出会わなかった。
一見穏やかに見えるその異常に不安を感じた。
何かが起ころうとしているのだろうか。
思い描いた最悪のシナリオが、ボクたちの、この国の前に大口を開けて待っているのかもしれない。










「ククルさん!」

ククルさんは10人ほどの人間が並んで倒れているその中心にいた。
たぶん彼女が一箇所に集めて看病していたのだろう。
倒れた人たちの傍らには、ポーションの空き瓶が転がっていた。

「リルさん、ご無事だったんですね」

彼女はボクのほうを見て安堵の表情を浮かべた。

「えぇなんとか。代わります」

そう言って、ボクは自分の中に「癒し」を思い描いた。
ヒールには詠唱はない。
理論はよくわからないけど、確かに戦闘中にゆっくり詠唱しているわけにもいかない。
たぶん自分の中の生命力、魔力、そういったものを使っているのだろう。
世界に干渉しない魔術は自己暗示のようなものでその力を発揮する。
もう、何千回、何万回も使ってきた「ヒール」はその効果を一瞬で思い浮かべることができる。

ボクは順番に倒れた弓手協会の人たちを回復させていった。
みんな外傷はなかったので、アルメリアに生命力を奪われたのだろう。
彼女は分かれる間際、食後だから眠い、と言っていた。

「さて、これで全員かな」

一番端にいた若い弓手を回復し終えて、ボクはククルさんに聞くともなく聞いた。

「ありがとうございました。ポーションだけではあまり効果がなくて・・・」

「いえ、おかげで少し楽でした。みんな瀕死だと思ってたんですけどね。たぶんボクがいなくても平気でしたよ」

ボクがそういい終えると、ちょうどボクの目の前の人が目を覚まし、それに続いて次々と意識を戻した。
口々に、ここは? とか、何があったんだ、とか言っている。
もしかしたら夢の内容は覚えていないのかもしれない。
それは今はいいとして、みんな目を覚ましたなら逃げてもらったほうがいいだろう。
見たところ大して装備も持ってきていないようだったし、正直戦力になりそうもなかった。

「起きたばかりのところ申し訳ありませんが、みなさんなるべく急いで島から出て、フェイヨンに戻ってください。
 ここはまもなく戦場になります。たぶん、みなさんでは歯が立たない敵がくるでしょう」

ボクはできるだけ冷静に言った。その効果があったのか、みんなあまり動揺していない。
あまり実感がわかないのかもしれないけど。

「リルさん、どういうことですか? ここが戦場に?」

ククルさんが問いかけてくる。

「えぇ、恐らく。いえ、ヤファも何か感じているようですから、間違いないでしょう」

「・・・わかりました」

ククルさんは一回ヤファを見た後、頷いてそう言った。
そして弓手協会の人たちに振り返り、

「それじゃあ、みんな、あわてず騒がずできるだけ急いでこの島から出て。それで協会長に報告して。
橋は無事、 私はここに残って橋を守ってから帰る、と」

弓手協会のひとたちは全員ククルさんの言葉に頷き、そして、気をつけてください、などの言葉を残して去っていった。

「すみません。ククルさんの戦力が必要なんです。本当は彼らと一緒に戻ってもらうべきだったんでしょうけど」

ボクはククルさんは残ってください、とは言わなかったけど、彼女は何も言わず残ってくれていた。
もし、敵が数で攻めてきたら正直3人だけではつらい。

「何言ってるんですか、橋を守るのは弓手協会の義務なんですよ? 本当だったら私たちでなんとかしなくちゃいけない
ことなんですから。私のほうが謝らなくてはいけません」

ククルさんは笑っていた。なるほど、確かにそんな話も聞いてたっけ。

「それで、詳しく聞かせてもらえますか? リルさんの考え。どうしてここにモンスターが、しかもリルさんの言い方だ
とかなりいい感じの数の敵ですよね? 橋を落としに誰か、何か来るかもしれないって私も思ってましたけど、それだけ
です。規模とか、どういう敵が来るのかとか、わからないです。確証もありません」

「わかりました。とりあえず橋を渡ってからにしましょう」

ボクたち4人は橋を渡ってすぐのところに集まって座った。
橋を渡った西側の地面は砂漠化していたけど、ちょうど陽も暮れ始めていたので座り込んでも焼けどすることはなかった。


クレスとククルさんはボクが話し始めるのを待っていた。
ヤファはあまり興味がないのか、視線を辺りに向けていた。
ボクはアルメリアとのやりとりを伏せて、それ抜きでも考えられるシナリオを話すことにした。
ククルさんの仲間がアルメリアに襲われたのは事実だし、彼女には話さないほうがいいと思ったからだ。

「さっきも言ったけど、モンスターがここに集まってくるのは確かだと思う。ヤファもそう言ってるし間違いないはず」

「うん、それは分かったけど、どうして橋を落としに来るって分かるの? ククルさんも分かってるって言ってたよね?」

クレスはボクとククルさんを順番に見た。

「えぇ、でも私も確信は持ってなかったから・・・」

「これから言うのはかなり最悪の展開だから、このとおりにはならないと思うけど、ボクの考えたことを言うよ」

クレスとククルさんがボクの言葉に同時に頷いた。

「まず、フェイヨンとプロンテラを結ぶルートは3つ。船を除けばね。そのうち2つは何者かによって落とされてた。
もちろん、確かめたわけじゃないから可能性でしかないけど、やっぱり2つ同時に落ちるのは人為的なものを感じるよね。
それでここの橋を確かめに来たわけだけど、他と違って落ちてなかった。ボクたちはそれを確かめてどうするか」

そこで言葉を切った。ククルさんはわかっているだろうから、クレスの顔を見る。

「え? わたし? えっと・・・私たちはプロンテラに行って、あ、やっぱり報告するよね。ククルさんはフェイヨンだけど」

「そうだよね。そして他の3つの橋が直るまではポリン島を通るルートが物資の輸送ルートになる。例えば、他の橋を
直してもそのたびに壊してしまえば、やっぱりここを通るしかない。そして、もしここに強いモンスターが集まっていたら」

「なるほど、飛んで火にいる夏の虫っていうわけ。う〜ん、でもさ、こんな風にいいたくないけど、被害の大きさで言ったら
そんなに大きくないよね? 橋を直しにくる人が数人と、商人さんたち。もちろん小さい被害じゃないから、そのうち情報が
プロンテラにも入って、討伐隊が出されると思う」

「うん、確かにそうだよね。それだけだったら確かにたいしたことはない。モンスターたちもそんなに多く集まる必要もない
よね。サキュバスクラスがいくらかいたら並みの冒険者たちは太刀打ちできない。だから、この案は続きがあるんじゃないか
って思う」

「続き、ですか?」

ククルさんもここまでは考えていたみたいだ。でもこの先は考えていなかったらしい。
確かにここまでで被害を受けるのは弓手協会の人たちが多いだろうから、彼女には大きな問題だ。

「被害届が出れば討伐隊が結成されるはず、いくら被害届が大げさな表現で書かれているとしてもモンスター10匹と100匹
を間違えたりはしないでしょ? だから討伐隊の人数もそれなりに規模が大きくなる。自然と首都の警備も薄くなる」

「そっか、そこを攻められたら・・・あ、でもちょっと待って、えっと続きはわたしが言うね。えっと・・・・・・うん、わかった」

何故か戦術には強いクレス。それに論理的思考もできる。彼女は基本的に話すのが好きだから、自分もしゃべりたいんだろう。
ここまでのボクの考えを聞いてこの先を予想するのは簡単だ。

「それから、橋を落とすの。そうしたら例えば首都で篭城作戦を取ったとしても、弓手協会からの援軍も商人協会からの物資も
なくなるから、すごい苦しいと思う。海路はイズルードを落されたら使えないし、魔術師協会はもうないようなものだし、
修道院のモンクたちも個人主義だからあんまり期待はできないし、アサシンギルドにはもともと期待できないし、すごい、
これでもかっていうくらい踏んだり蹴ったり」

「うん、もちろんそれは最悪の場合だけど、ありえないことじゃない。どっちにしても、やっぱりここでなんとかしたほうが
いいのは確かだと思う」

「そだね、でも今の考えが合ってたら、4人じゃ厳しくない?」

「そうですね、私たち結構一騎当千だと思うんですけど、それでも・・・」

確かに、今の話が現実に起こるとしたら、ここに集まる敵の数も多いだろう。
ボク以外の3人は攻撃に関しては心配いらないけど、数で押されたときはきつい。
騎士が5人くらいいたらずいぶん違うんだろうけど・・・

「あ・・・」

今までずっと黙っていたヤファが一言発した。
そして立ち上がって島のほうを眺めた。

「どうしたの?」

ヤファにつられてクレスも立ち上がった。

「誰か来る」

ヤファの言葉にボクとククルさんも立ち上がり、すでに夜の始まった東のほう、ヤファの視線の先を凝視した。

「誰が来るかわかる? 人間? それとも・・・」

「人間、とペコペコかな」

人間とペコペコ? ということは・・・。
そのとき橋が揺れ始め、やがてそれが収まると同時に5匹のペコペコがその背にそれぞれ人を乗せて現れた。
なんだか最近こんな光景を見た気がする。
その5匹のうち、先頭にいたペコペコがこっちにやってきた。

「よぉ、やっぱりこっちから来てたか。おっと、ククルまでいるのか」

金髪の騎士はペコペコを降りてそう言った。てゆーかリオンだし。

「リオン、どうしてここに」

「私がいたら悪いの?」

「いやいや、んなことないさ。あと俺たちがここに来たのは同じ理由だな」

同じ理由・・・ここにモンスターが攻めてくるから?
いや、それを知っているはずがない。ボクだってアルメリアに言われたからそう考えただけだ。
そうか、リオンたちが渡る前に南の橋は落ちてたのか。

「じゃあ途中で弓手協会の人たちと会ったでしょ?」

「あぁ、それで事情も聞いてきたぜ。説明してくれ。できるだけ簡単にな」

リオンはそう言うと後ろに控えていた騎士たち4人を呼んだ。
彼らはペコペコを降りてこちらにやってきた。
それにしてもいいタイミングで着てくれたと思う。
これで9人。

少数精鋭で各地のダンジョンの調査をしている第五騎士団だからかなりの戦力になるはず。
騎士団はそれぞれ防衛する場所が基本的に決まっていて、
第一騎士団は主に城の内部を受け持っている。いわゆる近衛というやつだ。
第二騎士団は首都プロンテラとその周辺を担当し、聖騎士団と共に防衛の要になっている。
第三騎士団はアルデバラン〜ゲフェン〜イズルード地域を担当し、
第四騎士団はモロク〜アルベルタ〜フェイヨン地域を担当している。

ボクは後から来た5人に簡単に状況を説明した。
リオンも真面目な顔をして聞いていた。
話し終わる頃には、ちょうど太陽も山の向こうに落ちて、
辺りを照らすのは目の前の焚き火と星たちだけになっていた。

「・・・というわけだから、正直リオンたちが来てくれて助かったよ」

「なるほどなぁ、確かにやばい状況みたいだが、まぁなんとかなるだろ。それより・・・」

隣にいたリオンはボクの傍に寄って内緒話をするように小声になった。

「あの耳と尻尾つけた子、前いなかったよな、誰だ? 結構かわいいな・・・」

そう言って焚き火を挟んだ向こう側でクレスと楽しそうに話しているヤファを見ていた。
知らなかった。リオンって実はロリコ・・・

「いや、待て待て。別に変な趣味があるわけじゃないぞ?」

「ふ〜ん」

ボクの思考にすら割り込んで否定するあたりが怪しいと思うけど、とりあえずそういうことにしておく。
正直リオンの趣味はどうでもいい。

「まぁそれはいいとして。問題はいつ頃お客さんが来るかだな」

お客さんか。招かざる客ね。できれば閉店ですといって追い返したいけど・・・。

「それは、ちょっとわからないな。敵の種類によって変わるだろうし」

「そうだな」

「あ、ヤファならわかるかも。ヤファー、ちょっとおいで」

ボクの声にヤファの耳がピクッと反応した。
そしてクレスとの会話を中断して、なに〜?、と言いながら焚き火の上を飛び越えてきた。

「後どのくらいで敵が着そうかわかる?」

「う〜ん、ちょっと待って」

ヤファは西のほうを向いてまだかなり遠くにいるであろう敵の気配を探り始めた。
それほど正確にはわからないだろうけど、だいたいの見当がつけられるならこっちも対処がしやすい。

「う〜んとね、ちゃんとはわからないけど2時間くらいは平気だと思う。でも、わたしじゃ悪魔系とかアンデットたちは探れないから、
数はわからないよ。どっちにしてもなんとなくっていう程度なんだけどねぇ。でもやっぱりしばらくは大丈夫そうだよっ」

「ありがと、じゃあしばらく休めそうだね。リオン、そういうことだから1時間半休んで作戦を立てよう」

「ん、あぁそうだな」

リオンはヤファをみて今度は怪訝そうな顔をしている。
遠くにいる敵を探ることなんて普通はできるわけもないから、当然だろう。
あとでリオンにはヤファのことを説明しておいたほうがいいかもしれない。
リオンならきっとわかってくれるはずだ。

それからリオンは部下たちにいくつか指示を出した後、しばらく休むといって眠ってしまった。
ボクたちも眠らなくていいというヤファを除いて休むことにした。

ボクは砂の上に仰向けになって星を眺めていた。
まだ日が暮れたばかりだけど、星たちはもう大勢で夜空に集まって自分たちの存在を光というかたちで主張していた。
何かを話し合っているリオンの部下たちの小さな話し声と、火が薪を燃やす音が聴こえるだけで、とても静かだ。
これまで遭遇してきた嵐の前はいつも静かだった気がする。
静かな日常も突然大きな嵐に襲われて、その風と雨で理不尽なくらいに荒らされてしまう。
今は嵐が来るとわかっているのに、不思議と落ち着いていた。

じっと眺めていた夜空に、流れ星がひとつ流れた。
願えば望みを叶えてくれるという流れ星は、
これまで何人の願いを叶えてきたんだろう。

一瞬で消えてしまった流れ星の、その消えた辺りの空を。
ボクはずっと眺めていた。








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