今は夏、太陽の下に出てきてやっとボクはそのことを思いだす。
辺りは背の高い木々に覆われているけれど、日向よりも木陰の多いこんなところも、
今までいた場所に比べるとずっと暑く、そしてうるさい。
もうすぐ夏も終わるというのに気の狂ったように鳴き続ける蝉たちの声はまるで、
世界に自分の存在を誇示しているかのようで・・・

「そっか、こんなに外は暑かったんだね」

「うん、木陰にいても暑いくらい」

ボクが彼女に会っている間、外で待っていたクレスがボクの独り言に答えてくれる。
彼女はボクのプロンテラ神学校時代の数少ないアコライト以外の友人で、
今は訳あって一緒にに旅をしている。

「うん、夏が暑いのは当たり前、なのに・・・」

普通の生活をしている人間にとっては当たり前でも、そうじゃない人にとってはきっと・・・

「でも彼女にとっては当たり前じゃないんだ」

そう言おうとして思い留まった。そんなことを言ってもしょうがないと思ったからだ。

「どうかした?」

「・・・なんでもない」

ボクは視線をクレスからここからでは見えない太陽に向け、
たったいま会ってきたばかりの少女のことを思い出していた・・・・・・













第1話 『物語は彼女との出会いから』















静謐とした、空間。
ここは部屋というよりそう表した方がしっくりくる。
ここではさっきまでいた夏という季節もまるで遠い日の思い出のように思えた。
壁も床も白く、花さえ飾られていない。
ただ、地下だというのに異様に明るかった。どうやら壁自体が発光しているようだった。
壁に触れてみると冷たくもなく温かくもなく堅くも柔らかくもなかった。
何か魔術的な素材でできているのだろう。

この白い牢獄の中央にはひとりの少女、たぶんボクと同じか少し上くらいだけど、
髪の毛は長くどこかの令嬢に見えるおしとやかそうな少女が座っていた。
この少女に会うのが目的だった。

「はじめまして、ボクはリル・ローゼリアといいます」

最初にボクはそう話しかけた。

「リル・ローゼリア・・・」

「はい」

ボクはいつになく荘厳に答えた。

「じゃあ、リルちゃんって呼べばいいかな?」

「…………はい?」

ボクは突然のことで何を言われたのかわからなかった。
話に聞いていた彼女とのギャップが大きすぎたからだ。
プロンテラやアルベルタでは悪い噂しか聞かなかったから。
その彼女が屈託なく笑いながらそんなこと言ったのだ。

「ん〜リッちゃんじゃなんか変だし、ってうそうそ、全然変じゃないよ」

「でもわたしとしてはリルちゃんの方がいいかなって」

「あの、意味がよく・・・」

「あっ!ごめんね、わたしまだ名前言ってなかったね」

「えっと、わたしはレイチェル、レイたんって呼んでね」

ボクは混乱していた、これがあの「レイチェル」なのか?
どう見てもふつうの街娘、的確に表現するなら、銀髪の綺麗なお嬢様。
とてもじゃないけど聞いていたような人間にはみえない・・・

「えーと、さすがにそれは…」

「そっか、残念」

本当に残念そうにうなだれる彼女はなんだか無性に幼く見えた。

「ぷっ、く、あはははは、心配して損したよ」

ボクは堪えきれず笑い出してしまった。
無理もない、「フェイヨンの白い悪魔レイチェル」がこんな柔らかく話す明るい少女だったのだから。

「心配?」

「うん、でも完全に杞憂だった」

「ふふ、そっか、それはよかったよ」

そう言って笑い合うふたり、最初に入ってきたときの冷たい空気はもうどこかに消え去っていた。
いや、その空気もボクが勝手に想像して作り出していたものだった。

「呼び捨てはちょっとあれだし・・・レイチェルさん、でいいかな?」

「うん、まぁいいかな、おまけだけど」

「じゃあ、レイチェルさん」

「なに? リルちゃん」

「・・・だから、それはちょっと・・・・・・」

ガクっときた。そんな呼ばれ方は今までされたことはない。

「え〜、いいと思うんだけどなぁ〜」

そう言って拗ねている姿は外で待っているクレスを思い出させる。
いつも冷静なクレスもたまに拗ねたりもする。それを見ていつもボクは笑ってるけど。

「呼び捨てにしてくれれば・・・」

「それはできないよ、じゃあリルくん、でいいかな。これもおまけだよ」

「うん、そうしてくれると助かるかな」

こうして稀にみるとてつもないスピードでボクたちは仲良くなった。
レイチェルという少女は街で聞いた話とはずいぶん違っていた。
噂ではこの王国を乗っ取ろうとして捕まった魔女とか、悪魔の眼の持ち主だとか、
そういった類のあまり印象のよくない話しか聞いてなかった。
どうしてそんな人間に会いにきたかというと、ある噂を聞いたからだ。
すなわち、全てを見通す魔眼のことを。
その眼で見つけて欲しい人がいた。

だけど、どう見ても普通の少女にしか見えなかった。
でもボクはあることに気づいてしまった。
そのことに気づいたらもう頼めなくなっていたし、頼みたくなかった。
これでもボクはプロンテラ大聖堂に籍を置くプリーストで、なおかつ魔術論にも多少の知識があった。
目の前にいる人間の魔力の流れくらいは判る。

だから世間話をした、今日の天気、この王国の現状、ボク自身の話もした。
小さい頃からアコライトになろうとしていて、今ではプロンテラ大聖堂の大司教様直属のプリーストになったこと。
そしてボクたちの旅の話・・・…

旅の話をしているときは、レイチェルさんは本当に楽しそうにしていた。

「へぇ〜、楽しそうだね〜。わたしも旅してみたいなぁ」

「そうだね、死にそうになることもあるし、辛い事も多いけど、機会があったら一度してみるといいかも」

無責任な言葉だとは思う。だけど、それを意識してしまっては、今のこの空気が消えてしまう気がした。

「じゃあ、そのときは一緒に旅してくれる?」

「うん、もちろん。ボクでいいなら」

「リルくんがいいんだよ」

この人はなんて恥ずかしいことをサラリと言ってのけるのだろう。
しかもさっき初めて出会ったばかりの人間に。

「そ、そうなんだ」

とだけ答えた。もしかしたら少し顔が赤くなっていたかもしれない。

「うん、待ってるよ」

待ってると言った彼女。その言葉が本気ではないことはわかっていた。
ボクたちのいるこの場所は牢獄。そこに彼女はもう何年も閉じ込められているのだから。
彼女の罪状はよく知らない。ただ、無期限であることは聞いていた。






「それじゃ、そろそろ時間だから」

「もう、そんなに時間経ったんだ」

「うん、一時間っていう制限がなければずっといるのに」

そう、ここは仮にも牢獄だ。いつまでも話をしていることはできない。
普通は話をすることすら無理だけど、ちょっとしたコネで一時間だけ時間をもらったのだ。
それにしてもどうしてこんな人がこんなところに閉じこめられているのだろう、と思ったけど、
街でも噂の事もあって、さすがに本人には聞けなかった。
人々はレイチェルさんのことをよくは思っていないことは確かだったから。
いや、その理由だって本当はボクも知っていた。
ただ、それが事実だとは思えなくなっていただけで。

「ありがとう、でもまた来てくれるよね?」

「もちろん。それじゃあ、もう行くよ」

「うん、またね」

「うん、また来るよ」

本当はここはそう簡単にこれる場所ではない。
実際ここに訪れる人間は数ヶ月に1人くらいなものらしい。
彼女もそうそう簡単に会えないことはわかっているだろう。
だけどボクはまた彼女に会いたいと思っていた。
今度はただ彼女と話すことだけを目的に。





別れを告げて部屋から出ようとしたとき、レイチェルさんに呼び止められた。

「待って」

「どうしたの?」

ボクは振り返った。
あぁ、きっと彼女は判ってる。それが判った。

「・・・・・・・・・」

さっきまでの明るい表情はもうそこにはなかった。
だから何も言えず、彼女の次の言葉を待っていた。

「いいの?わたしのところへ来るぐらいだから大事な話があったんでしょ?」

「それは・・・」

「こんなところにただお話しをしにくる人なんていないよ」

「・・・・・・・・・」

でもそれでもいいと思ったんだ。

「何かお願い事があってきたんでしょ? わたしの能力でリルくんのが少しでも助かるなら、わたしは嬉しいよ」

ボクは躊躇っていた。確かに現状ではレイチェルさんにしか頼めないことだった。
ボクとクレスの旅の目的はある人を捜すこと。
だから、千里眼を持つという「フェイヨンの白い悪魔レイチェル」に居場所を見つけてもらおうとしたのだ。
でも、ここにきてレイチェルさんを目の前にして知ってしまった。
レイチェルさんが街で聞いたような人ではないこと、そして・・・
目が見えないこと、何故見えなくなったのかを。

「リルくんはもう気づいてるんだよね、わたしの目が見えないこと、それとそうなってしまった理由も」

相手の目を見て話すことはアコライトになって絶対にするように言われていることの一つだ。
そうでなくてもそうするべきことではあるけれど、どんな恥かしがり屋の女の子でも、
卒業するまでにはそうできるようになっている。

「・・・うん、話していて眼が見えないのはすぐ。その理由もなんとなくだけど・・・たぶん力の使い過ぎ。
レイチェルさんの能力はたぶん、普通の神術や魔術と違って自分自身の力だけで発動するものだろうから、
使役する部位にかかる負担は普通の神術、魔術の比じゃないはず。だから普通なら少し休めば済む消耗でも、
それが一カ所に集まったら、そこは使い物にならなくなる可能性が高い・・・・・・」

ある意味ブルージェムストーンを使わないで世界に干渉する術を使うようなものだ。
ワープポータルやサンクチュアリのように。

「そのとおりだよ」

レイチェルさんは儚げに微笑む。もうさっきまでの笑みではなかった。

「でも小さい頃はそんなこと知らなくて、能力を使って遠くの文字や景色を見るだけで大人の人は褒めてくれた。
だからがんばって使いすぎちゃったんだね。まさか見ていたものがこの国の国家機密だなんて思わなかった。

「こういう風に言うのはまずいのかもしれないけど、どうしてバレたの?普通は気づかれるわけないし・・・」

「わたしの両親がいた組織がね、この国を乗っ取ろうとする人たちが集まったところだったんだよ。
だから、わたしの見た国家機密で王様を脅そうとしたの。裁判のときにそう聞いたよ。でもさすがに
小さな組織だったからね、あっという間にみんな捕まって、わたしは機密を盗んだ犯人として、ここ
に閉じこめられた。それが6年前。それ以来ずっとここで生活してるの」

「そっか・・・」

判らない。どういう顔をして、どう答えればいいのか。

「わたしの能力がわたしの目を見えなくした、だからリルくんは使わせたくないって思ったんだよね。
もうこれ以上悪くはならないのに。優しいね、リルくんは」

「そんなことない。でも、やっぱりやめとくよ」

「どうして?」

ボクは話を聞いていて、あることを決めていた。
実現するのはとても大変なこと、それはわかっていたけど、もう彼女をほおっておくことは出来なかった。
自分でも不思議だった。今日初めて会った人間に、ボクは一体何を賭けようとしているのだろう。

「ボクはある人を捜してるんだけど、せっかくだから一緒に探してもらいたくなったから」

でも結局、ボクは自己中心的で、そのときやりたくなったことをやらずにはいられない。

「え?それって…」

「一緒にに旅に出よう」

「そんなの、無理だよ。わたしはここから出られないんだよ?」

「何とかするよ」

「なんとかするって、どうしようもないよ・・・」

「大丈夫。実はね、この国のお姫様はボクの友達なんだ。だから頼んで何とかしてもらう」

「…………」

普通だったら信じない。ボクみたいな一介のプリーストが王位継承者と友達だなんて。
でも、もし信じてくれたなら、必ず叶えようと決めた。

「………信じていいのかな? ほんとに迎えにきてくれる? わたし………信じちゃうよ?」

「うん、約束は必ず守るよ」

そう、必ず。

「ありがとう。本当にありがとう」

そう言って涙を流すレイチェルさんの頭を撫でながら、

「それじゃあまた来るよ。今度はここの鍵を持って」

「うん……待ってる。でも無理はしないでね」

涙をうかべながら満面の笑顔でレイチェルさんはそう答えた。

「じゃあ、またね」

「うん、またね」

さっきと同じ言葉だったけど、今度はきっと本当の言葉だった。















とてもあんなところに閉じこめられるような人には見えなかった。
きっと世界中の誰でもボクと同じように思うんじゃないだろうか。
きっとあの人の存在感が、人を包み込むようなあの暖かさが、そして人の心すら見通すような瞳がとても懐かしく、
ボクにとって、とても大切な人のぬくもりに似ていたからだろう。
だからこんなところに閉じこめられているのが許せなかったんだ。


「どうだった?」

とクレスが聞いてきた。

「なにが?」

「レイチェルさん」

「なんだか懐かしい感じがした」

「懐かしい?」

「うん、姉さんを思いだしたよ」

「そう…」

ボクはレイチェルさんのことを話して聞かせた。
そしてレイチェルさんとの約束を。






「…というわけで協力してほしいんだ。あんなところに閉じ込めておきたくない人なんだ」

「わかった。きっと何とかなるよ」

「うん、ありがとう。助かるよ」

「じゃあ、さっそくお姫様に会いにいこっか」

「うん、でも正直会えるかどうか微妙なところだよ」

正直、友達とはいえ簡単に一般人と王族が会えるとは思えない。
そもそもボクがお姫様の友達だなんて知っているのはごく少人数だし。

「そうだね、それにモンスターたちの動きも活発になってきてるし」

「兵を集めて万が一に備えてるみたいだから…」

「先に手は出せない、か」

「城をあけている間に他の国に攻められたら対抗できないから」

「そっか、だから義勇兵を募ってるのか」

「でも難しいと思う、この国に人たちは争いごとに向いてないから」

「いままでずっと穏やかに暮らしてきたんだからね、突然モンスターと戦えっていっても無理か・・・」

「それと、人間ともね。ねぇ、リル・・・」

「ん?」

「義勇兵に志願しよ。今のところそれが近道。着いたら他に方法が見つかるかもしれないけど」

「そうだね、少しでも近づかないと、もしかしたら兵士なら会えるチャンスもあるかもしれないし」

「それに・・・友達だしね」

「うん」

「じゃあ、すぐ出発しよ。プロンテラまでは何日もかかっちゃうし」

ふたり同時に立ち上がり用意をし始める。
ボクは重い荷物を持ち上げよろけながら歩き出すクレスの背中にそっと「ありがとう」とつぶやいた。
ボクのわがままに黙ってついてきてくれることに感謝して。

「何か言った?」

「ううん、何にも」

「それじゃあ、急ごっか」

「うん」

こうしてボクたちは歩き出した。
王都プロンテラへと。















「ところで」

「なに?」

「道はこっちで合ってる?」

「・・・えっと、たぶん」

「・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・」


前途多難な旅はいま始まったばかり…



 



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