夏の夜空

二人の孤独

その距離は近く遠く

寄り添うこともなく

離れることもない

二人の間には輝く深い川

いつかの日か

決して消えない

橋が架かることを信じて





















「わたしたちに架かる橋」






















彼に初めて出逢ったのは、わたしがプロンテラの修道院で生活していたときのこと
アルベルタの商人組合の組合長の一人娘であるわたしは
お父様の意向もあって、12歳から15歳までの3年間
プロンテラでアコライトになるための修行をしていた

世の中は、トリスタン国王陛下の手によって掴んだ平和を毎日のように祝っていた
もちろん特別なお祝い事をしているわけではなかったけど、わたしにはそう見えた


十四の春、わたしはお使いで王宮へ向かっていた
お使いというのは、お城で食べられるパンを修道院へもしばらく配達してほしい
というものだった
本来なら修道女たちは自分の生活に必要なものはほとんどすべて自分たちで作る
わたしの着ている服も、自分で作ったものだし、食事も自分たちで作っている
それが何故パンなんていう自分たちでいくらでも作れそうなものを
分けていただくように頼みに行くのかというと
まず、修道院へ届くはずの小麦が何かの間違いで2週間先になっていたこと
それと、それほど多くはないけど貯蔵しておいた小麦に虫が涌いてしまったこと
最後に、パンを作る係りの人たちがそろって病に倒れてしまったこと
不謹慎かもしれないけど、作為的なものすら感じてしまう
ううん、もしかしたらそれは運命だったのかもしれない
少なくともわたしにとっては…





ちょうどお城の前の橋の前まで来たとき、前方から誰かが走ってきた
茜染めよりも明るい紅髪、お城から出てくるには控えめに言ってもぼろぼろの服
少年のような、それでいて青年のような、つまりはわたしと同じくらいの男の子だった
わたしの横を通り過ぎて止まり、振り向いた

「きみ、アコライトだよね?どこでもいいからポータル開いてくれない?」

とても急いだ様子

「え、でもジェムストーンがありません…」

今日はお城と修道院の往復だけだったので持っているわけもなかったし
それに、ポータルなんて使う機会はほとんどない

「はいっ、これで早く!」

わたしの後ろのほう、お城のほうを気にしながら青い小さな宝石をわたしの手に置いてきた

「あ、あの…どこに行きたいですか?」

「どこでもいいからっ早くっ!」

「は、はい、では…」

急いでいるようなのでなるべくすぐにイメージできる場所を思い浮かべた
日曜日にときどき遊びに行くプロンテラの西の小さな泉
ここなら水の色も草木のささやきさえも
まるで自分がそこにいるかのように思い浮かべることができる
安定させるための呪文は忘れてしまったけど
想像力には自信がある
大丈夫、失敗はしない

「ワープポータル!!」

言葉に力をのせた
イメージどおり目の前に青白い光の輪が現れた
ちゃんと泉に繋がっているはず

「はい、開きました。それではお気をつ…」

「よしっ、行こう!」

そう言って彼はわたしの腕を掴んだ

「ちょ、ちょっと待ってください〜」

わたしの声も届かないうちに、その手はわたしを青い光の中へと連れ込んだ
お使いがあるのにどうしよう、なんて思っていても
気が付けば周りには建物なんてひとつもなくて
さっきまで思い浮かべていた景色が広がっていた









「それで、どうしてわたしを連れてきたんですか?」

わたしはお城に用があったことを告げてから聞いた
彼はわたしの話を聞いてすまなそうな顔をしていた

「あ〜、うん、お礼しなきゃと思ったから…」

「わたしたちは奉仕する者です。お礼なんていただけません」

「そっか、そうだね。ごめん」

「いえ、お使いは少し遅れてしまいますけど、ここはわたしの好きな場所ですから」

だから気にしないでください。そういう意味をこめて微笑んだ
なんとなく彼はわたしが怒っていると思っていそうだった
表情がそういっていた
でも、わたしが笑うと、彼もわたしが怒ってないことに気づいてくれたのか
少年のような屈託のない笑顔をくれた

すこし鼓動が早くなった
なんだろう、これ
あ、そうか、同年代の男の人と話すのは教会の人以外だと初めてだから…
慣れていない人と話をするのは少し苦手だし

「どうしたの?」

「いえ、わたし、そろそろ戻りますね。今からならまだ間に合いますから」

「あ、送ってくよ、西門のあたりまで」

「それには及びません。危険なモンスターもおりませんから」

「邪魔、かな?」

そんな顔されても困る
笑ったり、泣きそうになったり、きっとこの人嘘がつけない人なんだろうな
なんてことを思ったりした

「そんなことありません。それでは街までの護衛、お願いできますか?」

「あ、うん、任せてっ」











プロンテラに戻る間、わたしのことを少し話した
わたしがアルベルタの商人組合の組合長の娘ということ
わたしの修道院での生活のこと
それと、お父様と弟のこと

「それで、あなたは何を急いでいたのですか?」

「今度はボクの番か。ボクはね、シーフだから盗みが仕事」
「お城から出てきたのは仕事をしてたからだよ」

「えっ、泥棒さんなんですか?」

「まぁね、軽蔑した?」

そんなことを笑顔で聞いてきた
正直、どういう風に感じたらいいのかわからなかった
どういう風に感じたのかも
でも、決して軽蔑なんていうものではなかった
もちろんその逆でもなかった
もっと大きく感じたのは、たぶん恐怖

お城にあったものなら、それは国王陛下の物ということ
国王陛下の所有物に手を出すということは
どんな理由があっても処罰の規定は一つだけ
恩赦がないかぎりは、死刑、それだけだった
もしわたしが通報したら、この少年は騎士団に捕まって死んでしまう
それなのにどうしてわたしにそんなことを言ったのだろう

わたしを信用して?
ううん、さっき会ったばかりなのにそんなことあるわけない
じゃあどうして…

「どうして、話したんですか…」

そんなこと知りたくなかったのに

「どうしてだろうね。君のこと信用した、っていうわけでもないんだけど、でも…」

「でも?」

「嘘はつけなかった。ボクね、どんなに秘密を作っても、嘘だけはつかないことにしてるんだ」

「でも、それなら黙っていてくれれば…」

「そうだね。でも、もし君がボクのことを心配してくれてるなら、それは大丈夫」
「ボクは捕まらないし、死んだりはしない。まだやることがあるから」

「やること?」

「うん、だから大丈夫。もし、黙っているのが辛いなら、騎士団に駆け込んでもいいよ」

どうして彼が笑顔なのか、わからなかった
捕まらない自信があるから、というのとは違う気がした
それっきり会話も止まってしまい、気がつくと地下水道の入り口まで来ていた

「それじゃあ、ボクはここで。4,5日は一応身を隠しおくから」

彼は立ち止まると、元来た道へ戻っていった
そこで別れて、それでお終いのはずだった
どうしてあのとき、あんなことを言ったのか
きっともう、あのときには「わたしたち」は始まっていたのかもしれない

出逢えたこと、出逢ってしまったこと
あのときはわからなかったけど、わたしは、そして彼は
もう「わたしたち」だった


「あのっ!」

彼が振り向く
その表情はとても穏やかに見えた

「わたし、誰にも言いませんっ!黙っていること、辛くありませんっ!」

彼が微かに微笑んでいた
わたしの鼓動はもう、雨のステップよりも早いリズム

「あの場所、ときどき遊びに行くんですっ!だからっ!」

彼は頷いた
わたしの言いたいこと、わかってくれた

声は聞こえなかったけど、彼の唇は別離ではなくて
「またね」っていう、再会の形をしていた

わたしは走り出す彼の背中にそっと呟く

「はい、またお会いしましょう」











それから毎週ではないけれど、お仕事のない日曜には泉で彼と会った
ときどきはプロンテラの街を一緒に歩いた
わたしは修道院にほとんど篭っていて、話題は多いとは言えなかったけど
彼はいつも色々なことを教えてくれた
彼の育ったモロクのこと、ソグラト砂漠を渡るときの注意、モンスターとの戦い方と逃げ方
毒のある植物のこと、薬草になる植物のこと、それに政治のことも

わたしは一度だけ、彼が盗んだものをどうしているのか聞いたことがあった
もちろん売ってお金にしているのだろうと思っていたけれど
その割には彼の服装は所持品はいつも安そうなものだったから

「これ、なんだかわかる?」

彼はカバンから何かの実や葉を取り出した

「えっと…確か、こっちがマステラの実で、これはイグドラシルの葉」

「正解。ボクが盗むのはだいたいこういうものだよ」

「どうして?」

「いくら平和になったっていっても、プロンテラと違ってモロクにはこういうものが少ないんだ。
 怪我をしても病気になっても、治療もできない人が大勢いるんだよ。怪我ならアコライトとか、
 そういう人たちが治してくれるけど、ぜんぜん足りないんだよ。病気になったらもう死ぬまで
 苦しむしかない。医者なんていない。周りは砂漠だから薬草もほとんど採れないしね」

「配ってるの?苦しんでいる人たちに」

「うん、でもそれで助けられるのはほんの少しの人だけだから」

そう言って彼は目を伏せた

わたしはそんなこと全然知らなかった
物流の起点であるアルベルタに生まれて、終点であるプロンテラに住んでいて
わたしは、何一つ足りないものがない生活をしてきた
ううん、きっと誰よりも裕福な生活だった
それを初めて悔いた


そのときから、わたしはしっかりとした目的を持って修行をしはじめた
お父様に言われたままに修道院に入って、修行が終わったらアルベルタに帰って
それできっと死ぬまでアルベルタから出ないで、裕福な暮らしをしていく
そんなことはもう、できなかった
わたしは、彼の手助けをする
そう決めた



あるとき、彼の仲間を紹介された
一人ではできない仕事をするときに組む相棒だって言っていた
わたしが嫉妬してしまうくらい、二人の仲はよくて
とても羨ましかった
でも、その人が言ってくれた言葉はとても嬉しかった

「あいつは人懐っこいように見えて、必要以上には他人を近づけないんだ。だから、
 君の話を聞いたときは驚いたよ。あいつ俺といるときは君の話ばっかりするんだぜ?
 俺と違って硬い奴なのに、女の話なんて、ってね。でも正直安心した。俺はあいつの
 手を引っ張ったり、背中を押したりはできるけど、となりで支えてやるのは無理だ。
 君にその気があるなら、ずっと傍にいてやってくれ。言葉では言わないかも知れない
 けど、あいつは絶対君に傍にいて欲しいって思ってる。俺が言うんだから間違いない」

そう言って手にもったリンゴをかじった
はい、と答えたわたしの顔はそのリンゴのように赤くなっていたと思う






3年間の修道院での修行を終えて、わたしはアコライトとして独り立ちすることになった
お父様のいいつけでは、アルベルタに帰って、今度は花嫁修業をすることになっていた
でも、もうわたしには心に決めた人がいて、やるべきことも決まっていた

修道院を出る前の日の夜
わたしはささやかなパーティーを抜け出して、いつもの泉に来ていた
もちろん彼に会うために
一度はアルベルタに帰って、お父様を説得しなくてはいけなかったから
ほんのすこしのお別れをいうために、彼と約束をしていた
思えば不思議なもので、それまではっきりと約束をしたことは一度もなかった
「またね」っていう言葉が、ずっとわたしたちの約束だった



季節は夏
夜空には流れる光り輝く星の川、そこに浮かぶような上弦の月
わたしたちは草むらに仰向けになって星空を見ていた

「こんな話知ってる?」

彼は星を見たままそう聞いてきた

「どんな話?」

わたしは彼の方に顔だけ向けた

「天の川の東と西に住む二人の話」

「教えてくれる?」

「うん」

彼は静かに語りだした
その話をわたしはよく覚えている
彼の言葉は残さず全部思い出せるけど
そのときの話は特に印象に残っていた


夏の夜空に流れる天の川、その西には美しい娘が住んでいて
勤勉なその娘は、来る日も来る日も一生懸命に与えられた仕事をしていた
着飾ることも知らず、恋も知らないで仕事に精を出す彼女を不憫に思った神様は
天の川の東に住む働き者の青年と結婚させることにした

二人は仲睦まじく、働くことも忘れて二人で新しい生活を楽しんだ
初めはしかたない、とそれを許していた神様も、いつまでも働かない二人に腹を立て
二人を再び川の東と西に分かれさせてしまった

そして神様はこう言った

「もし、前のようにまじめに働くのであれば、一年に一度、月の船で川を渡り、会ってもよい」

二人は反省し、またまじめに働くようになった
そして、一年に一度、夏の夜にだけ、二人は会うことができるようになった

でも、いじわるな月の船の船頭は、雨が降り川の水かさが増すと
これでは船が出せない、と船を出さないことがあった
どうすることもできず川岸で涙を流す二人を可哀相に思った白い鳥たちが
二人のために羽を広げ、二人を結ぶ橋になった
それで二人は雨の日でも、一年に一度だけ会うことができる

そんな不思議な夏の夜空の話だった

話を聞き終わったわたしは、そっと彼の手を握った
この手が白い鳥たちの羽のように
二人を繋ぐ橋になってくれますようにと祈りながら








次の日、わたしは今までお世話になったシスターたちにお礼をして
しばらくは行けそうもない泉へ向かった

泉に辿り着くと、思ったとおり彼は来ていた
声をかけようとした瞬間、突然目の前に人が現れた
黒い衣に身を包んだプリーストの女性

「アルベルタ商人組合の組合長の娘さんですね?」

その女の人はわたしのことを知っていた

「はい、そうです」

どうしてこんなところにいて、わたしに声をかけてくるのかはわからなかったけど
プリースト様なら怪しいことなんて何もない
わたしは正直に答えていた

「貴方のお父様の依頼でお迎えに上がりました。荷物は既に運び終えましたので、すぐに帰りましょう」

「あの、少し待ってください。わたしここに用があるので」

「用とはあそこにいるシーフに会うことですか?」

最初から彼の存在に気づいていたのか、彼女は振り返って彼の方を見た
その表情はわたしからは見えない
わたしも彼の方を見たけど、こちらには気づいていないようだった

「はい、そういうわけですので、少しだけ時間をください」

「………」

彼女は黙ったまま、懐から小さな青い石を取り出した
そして、突然詠唱を初め、すぐに目の前の地面に青白い光が現れた
それからわたしの腕を強く掴んだ
彼女がどうしようとしているのかはすぐにわかった

「ちょっと待ってください。彼に用があるんですっ!」

「いけません。あのような下賎な者には近づかせぬようにと、言われています」

「お父様がそんなことを?でも、彼は悪い人ではありません!」

わたしの声が聞こえたのか、彼がこちらに気づいた
様子がおかしいことに気づいてくれたのか、走って向かってきている

「悪いか善いかは関係ありません。貴方は上流階級の人間です。あのような者には近づくべきではない」

「そんな、彼のことをよく知りもしないで、どうしてそんなことが言えるんですか!」

プリースト様は一瞬何かを考えて、そして次にこう言った

「それでは彼を騎士団につきだしても問題ありませんね?」

「え?」

「後ろめたいことがないのであれば、構わないはずですが?」

構いません、とは言えなかった。彼は手配もされていなかったし
顔もわれていないと言っていたから平気だと前に言っていたけど
それでも、もしかしたら…

そのとき彼はわたしのところまで来た

「その手を離せっ!!」

彼はダマスカスを構えた
プリースト様は気にした様子もなく、わたしにそっと告げた

「今すぐポータルに乗るなら、彼のことは見逃します」

それが決め手だった。致命傷かもしれない
大丈夫、一度帰ってまたここに来ればいい
わたしもポータルは開けるんだからいつでも来れる
もともと帰る予定だったのだから、と自分に言い聞かせた

「ごめんね、しばらく会えないけど、また来るから」

「…………わかった。待ってるよ」

彼は短剣をおさめて笑ってくれた
わたしはその笑顔を見て、青白い光に身を委ねた








その日、わたしの帰宅を祝う盛大なパーティーが実家で開かれた
久しぶりに会ったお父様は、いつも通り優しかった
弟はすっかり大きくなっていて、身長も越されていた
パーティーにはわたしを迎えに来たプリーストさまもいた
第一印象はとてもじゃないけど、良いとは言えなかった
でも、パーティーのときはとても優しかった

やっぱりお父様の知り合いに悪い人なんていない
さっきの事も、わがままを言うわたしを連れ帰る為に
心にもない嘘をついたのだ、と思った
だからその日は、わたしがまたプロンテラに戻りたいと思っている
ということは言わなかった
きっとお父様ならわかってくれる、そう信じていた
彼にもすぐに会いに行ける、そう思っていた


それから4日後、わたしは仕事から帰ってきたお父様に
わたしの気持ちを伝えた
きっと、わかってくれるって信じていた
だけど…

「お前はこの家に住んでいればいい。ここなら何不自由なく暮らしていけるんだぞ?
 欲しいものは何でも買ってやる。何も不満はないだろう?貧困に苦しむ者が遠くの
 町にいたとしても、どうしてお前が助けに行かねばならん。どうしてもというなら
 できる限り援助をしよう。モロクだったな?すぐに手配する。だから、お前が行く
 必要はない。弟の面倒でも見てやれ」

わたしは毎日お父様の部屋に通いつづけた
それでも、お父様の言葉は変わることはなかった

1週間が過ぎ、2週間が過ぎ、実家に戻ってからちょうど3週間目
それまで隠していた彼のことを打ち明けた
本当はいつか彼を連れてきて紹介しようと思っていたけれど
この際それは諦めることにした
このままでは彼に会いにいくこともできない
それは辛かった

でも、そのことがお父様の逆鱗に触れた
いつだってお父様がわたしを叱るときは、きちんと筋の通った言葉だったのに
そのとき、初めてわたしはお父様を…

「お前は私の娘だぞ?上流階級の娘なんだぞ?そんなどこの馬の骨とも知れない男に
 娘をやる父親がどこにいる!!そのような下賎な輩とお前が釣り合うものかっ!!
 お前は私の決めた相手と結婚して、何不自由なく暮らしていればいいんだっ!」

それでもう終わりだと思った
わたしはもうここにはいられない
この人の為にわたしは生きているわけではない
会いたい人に会いに行くのがどうしていけないのか
一緒にいたい人と一緒にいることがどうしていけないのか
わたしは家を出ることに決めた

でも、お父様はわたしをその日以来外に出さなかった
部屋の前に見張りをつけ、家庭教師を雇い、一日中わたしを監視させた
わたしは表面上は従うふりをして、プロンテラに行く方法を考えた
お父様のことだから船には手をまわしているだろうし
陸路で行くにはプロンテラは遠すぎる
それに橋の前で待ち伏せをされていたら連れ戻されるだけ
方法は一つ、なんとか屋敷から抜け出してブルージェムストーンを手に入れること
最初の一週間、その方法を考えつづけた


一週間後、突然部屋の見張りがなくなり、外に出ることも許された
もう諦めたと思っているのだろうか?
お父様の知っているわたしは、過去のわたしだというのに


わたしはその日の午後、散歩に出ると言って屋敷を出た
もちろん目的は露天商を探すこと
現金は持っていなかったけれど、宝石をいくつか持ち出した
これなら十分交換できるはず




町の入り口に露天商を見つけた
品書きにわたしが欲しがっているのものもあった

「すみません、ブルージェムストーンを売ってくださいますか?」

「あぁ、いくついるんだい?」

人のよさそうな小父様が笑いかけてくる

「ひとつで結構です。お代はこの宝石でよろしいですか?」

「あぁいいよ。でも、いいのかい?それじゃ釣り合わないだろう」

「いえ、どうしても必要なんです。お願いします」

そのとき、はっとした顔をして、その商人の小父様は
カートの上に置いてあった一枚の紙とわたしの顔を見比べた
わたしは言葉を待った

「すまない、君には売れない」

「え、どうしてですか!?」

「君は組合長の娘さんでしょう?君には売ってはいけないと、組合長の厳命が出ているんだよ」

わたしは商人さんの持っていた紙を奪い取った
そこにはわたしの、悔しいほど似ている似顔絵とあらゆる特徴が描かれていた
なんていう周到さだろう
わたしが外に出られるようになったのは、すべて準備が整ったからだったんだ

それからアルベルタ中を廻って全ての商人さんたちに掛け合った
でも結局一人も売ってくれるという人はいなかった
それは街にいた人たち全てに言えることで、誰も交換してくれなかった



屋敷に帰った頃には太陽も西の空に落ちていた
わたしは部屋の窓から空を眺めていた

あの日、二人で見た星空はまだそこにあった
天の川の岸にそれぞれ寄り添うこともなく、離れることもなく
ただ一年に一度の再会を信じて輝きつづける星


時計を見るとちょうど頂点で重なり合っていた
時計の針ですら、一時間に一度はそれぞれ巡り会う
本気で羨ましいと思った

そのとき、静かにドアをノックする音が聞こえた
お父様がこんな時間に来るはずがない
5日前に出かけた弟が帰ってきたのかもしれない

ドアを開くと、思ったとおり弟がそこに立っていた
わたしが声をかけようとすると、唇に指を立てて、静かにという合図をした
手振りで入っていいかと聞いてきたので、わたしは黙って頷いた

「姉さん、ただいま。よかった、起きててくれて」

弟は本当に小さな声で言った
いくら夜中とはいっても、目の前にいるわたしですら
聞き耳を立てないと聞こえなくらい小さな声

「おかえりなさい。どうしたのこんな時間に」

「今帰ってきたところなんだ。それより、大事な話があるんだよ」

「大事な話?とにかく入って。今紅茶を淹れるから」

「うん、でも飲み物はいいよ」

弟は静かにドアを閉めて、窓際の椅子に座った

「それで、こんな時間に来るくらいだから、大事な話はとても大事な話なんでしょう?」

わたしは弟の目の前に座った
普段はほとんど使う機会はなかったけど
2つ椅子を置いておいてよかった

「単刀直入に聞くよ。姉さん、プロンテラに行きたいんでしょ?」

「お父様に聞いたのね」

「うん、姉さんにはこれを渡すなって言われたよ」

そういってポケットから何かを取り出して、握っていた手のひらを開いた
そこにあったのは、わたしが今日ずっと探しつづけていた青い宝石

「どうして!?」

「だめだよ、静かにしてて。実はね、近くの小島に難破船が漂着したんだ。それで、その船の
 調査に行ってたんだけど、その船のなかはモンスターでいっぱいだったんだ。ぼくは見たこ
 とがないモンスターばっかりだったんだけど、その中の骨だけの魚がね、落としたんだよ」

「それでわたしに?」

「うん」

「でも、お父様に知れたら、貴方が何を言われるか…」

「会いたい人がいるんでしょ?」

「そんなことまで貴方に?」

「ううん、でもね、わかるよ。姉さんのことはわかる。会いたい人がいるなら、会いに行かせて
 あげたい。大丈夫、父様はモンスターもこの石がこの石を落とすなんて知らないよ。一緒に
 調査した仲間にも黙っているようにいってあるし、もしバレてもぼくは平気だよ。だから…」

だから、心配しないで。そういう表情をしていた
わたしも分かる。貴方の気持ち…

「……ありがとう」

こんな近くにわたしを助けてくれる人がいたんだ
何も言わなくても、わかってくれる、大切な家族

「夜が明けたら、すぐに出発して。お金はこれをプロンテラで売ってつくればいいよ」

そう言って紅い宝石をわたしの手に握らせてきた

「ちゃんとぼくが手に入れてきたものだから。気兼ねなんていらないよ。父様のことはぼくに
 任せておいてくれればいい」


そう言って笑った弟の顔は、とても大人びたものだった
いつでも出発する準備はしていたのでそのまま夜明けを待って
アルベルタに別れを告げた







一秒でも早く彼に会いたかった
でも、実はわたしは彼の居場所を知らなかった
いつもいくつかの隠れ家を移り住んでいると言っていたし
その場所もわたしには教えてくれなかった
だけど、ひとつだけあてがあった
前に紹介してくれた彼の相棒は、何か用があったらプロンテラの宿屋のひとつである
「ネンカラス」を訪ねれば、もしかしたらいるかもしれない
そう言っていた


プロンテラに入る門は夜明けと共に開く
ついいつもの泉に行ってしまったわたしは急いでネンカラスに向かった

宿屋の受け付けの人に聞くと、ちょうど二階の部屋に泊まっていると教えてくれた
わたしは教えられた部屋のドアを起きていてくれることを祈って静かにノックした
部屋のなかから返事が聞こえ、はたして、目的の人がドアを開いた

「あれ?え?どうしてここに君が…」

「さっきアルベルタから来たばかりで、それで早く会いたくて、でも居場所がわからなくて…」

「ちょっと待って、じゃあ、会ってないの?」

「はい、あの、居場所わかりますか?」

わたしがそう聞くと、どうしてか困ったような顔をした
もしかしたら、わからないのかもしれない
でも、それなら諦めて泉に毎日通えばそのうち会えるから、それでもいいかもしれない
すぐにでも会いたいけど、待っている時間も楽しいから

「あいつ、さっき出たばっかりの船でアルベルタに向かったんだ」

え、アルベルタに、向かった?もしかして、わたしを迎えに?

「まずったなぁ、すれ違いか。さて、どうするか…」

「あの、それならまたアルベルタに戻ります」

プロンテラならいくらでもブルージェムストーンは売っている
船がどのくらいでアルベルタに着くのかはわからないけど
船着場でずっと待っていれば絶対に会える

「いや、あいつのほうはこっちでなんとかする。せっかくの再会なら思いで深い場所がいいだろ?」

そう言って片目を閉じた
確かにそのほうが嬉しい
待つならやっぱりいつもの場所がいい

「あの、お願いします」

「あぁ、それじゃあ、そうだな…4日後のいつもの時間、いつもの場所にいてくれ。まぁいつもの時間
 っていうのは俺にはわからないけど、あいつならわかるだろ」

わたしは頷いた
いつも会っていたのは太陽がほんの少しだけ西に傾いた時間
彼も絶対にわかってくれるはず

「それにしても、君がいてくれてよかった。俺も見る目あるねぇ。ほんと、あいつより先に出会ってたら
 間違いなく惚れてるね。いや〜残念」

「いろんな人にそんなこと言っているんでしょう?」

「あ、わかった?今のあいつには内緒ね。怒ると怖いから」

そう言って笑っていた

わたしも、あなたがいてくれてよかった
心から、そう思う









そして4日後、わたしはいつもどおりの時間、いつも通りの場所で彼を待っていた
空には雲ひとつなくて、とても暑かったけど、気持ちのいい日だった
着いたのは予定よりずいぶんと早かったけど、時間まで楽しいことばかり考えていた
彼が来たらどんな顔をしようとか、どんなことを言おうとか
しばらく会えなかった分、たくさんたくさん考えた
でも、なんとなく、何もいえなくて、涙が流れるくらい嬉しくて
そして彼はわたしを優しく抱きしめてくれる
そんな想像をしていた




ふと、こちらに近づいてくる足音に気が付いた
わたしはその方向に顔を向けた
でも、そこにいたのは
彼ではなくて、その相棒だった



きっともう少し時間がかかるのかもしれない
アルベルタは遠いから、4日じゃ無理だったんだ

そう…ですよね?

だから…

いつも明るくて、わたしたちを笑わせてくれていたのに

きっと…

彼はただ少し遅れているだけなはずなのに

どうして…

そんなに辛そうな顔をしているんですか…

どうして…

そんなに悲しそうな目をしているんですか…

どうして…

そんなに唇を震わせているんですか…






その口が紡いだ言葉は、そんな表情に似ってしまう、とても辛い言葉で

その目から落ちた雫は、こんな晴れた日には全然似合わない、とても冷たいものだった





















「あいつは…死んだよ」






























あれから3度目の夏
わたしは一年に一度、この場所に来ていた

「あの物語、あのとき初めて知ったの」

彼が教えてくれた物語
わたしが一番好きな物語












あれから5度目の夏
相変わらずこの場所に来ていた

「今日は雨が降っているけど、大丈夫だよね」

そろそろ意地悪な月の船も
ふたりを会わせてくれているかもしれない













あれから10度目の夏
今年もよく晴れていた

「二人は、幸せだよね?一年に一度だけでもちゃんと会えてるよね?」

そういえば時計の二つの針を羨ましく思ったことがあった
今もときどき、羨ましく思う
















あれから…何度、この夜空を見たのだろう

彼が教えてくれた夏の星空の物語

わたしは一年に一度、同じ日にここへ来る

夜空の二人のように、会えるような気がしていた

もちろん、この歳になるまで一度もそんなことはなかったけれど

今日は、彼が来てくれるような気がした

「……ねぇ」

数年前から、片方の星だけ少し明るいような気がしていた

「そこにいるの?」

その明るいほうに、彼がいる気がしていた

「わたし、ずっとがんばってきたよ」

わたしは彼の代わりに、きっと彼が望んでいたことのために手を尽くした
弟の仲立ちでなんとか仲直りできたお父様も、薬がなくて苦しんでいる人たちに
物資の支援を積極的にしてくれた

「喜んでくれる?だったら、嬉しいな」

彼の仲間だった人たちも、ひとつの職業として認められるようになった
わたしと彼を応援してくれたあの人の活躍も大きかった

「よかったね…」

もう、わたしのやることは無くなってしまった
ただひとつを除いて



「ねぇ…」


「………会いたいよ」


「会いたいよ…あなたに会いたい…」


あの日以来ずっとがまんしていた言葉は
あの日以来ずっとがまんしていた涙と一緒にこぼれた



わたしは仰向けになって、二つの星を見ていた
しばらくそのままでいると、もうずいぶん見えなくなった目に
たくさんの白い鳥が映った

「白い…鳥」

その鳥たちは羽を広げ、まるで星にかかる橋のように空高く続いていた
その橋を、誰かが降りてくる

あぁやっと会えた…
どんなに目が悪くなっても、見えなくなったとしても
彼のことは、わたしにはわかる


彼はわたしのすぐ目の前まで来ると、あの屈託のない笑顔を浮かべ
そっとわたしに手を差し伸べた

その手を、ぎゅっと握る
彼に体を引かれて白い鳥に乗ると、鳥たちは空へと舞い上がった



きっと、あの星まで連れて行ってくれるのだろう

もしかしたら、一年に一度しか会えないのだろうか




それでも、わたしたちは大丈夫

強く握った手はもう離れない

いつの日か願ったように

決して消えない

わたしたちに架かる橋なのだから






















END