瑠璃色の花







空気が暖かい。
すぐ近くでぱちぱちと何かが燃えるような音がしていた。
どうやら眠っていたらしい。
自分のいる場所と火を見て状況を思い出した。
ルリが火を熾してくれたのか…助かった。

ボクは布団の代わりになっていたコートを持って立ち上がった。

「リル…目覚ましたんだ…よかった…」

ルリは炎の向こう側にいた。
嬉しそうに微笑んで、そして視線をそらした。

「でももう少し…待ってて欲しかったな」

「ルリ?火、焚いてくれたんだね」                 

まだハッキリしない目でルリを見た。
ルリは辛そうな横顔をしていた。
何か様子がおかしい。
いや、ルリの姿自体に違和感があるような…

「できればこっちにこないでほしいな…」

苦しそうな声でルリはそう言った。

「何を…」

そして気づいてしまった。
それは違和感どころではなかった。
袖から出ているはずの左手が、ルリにはなかった。
着物に隠れていない部分を見ると、まるで氷柱が溶けていくように、
雫がぽたりぽたりと落ちていた。

「ルリ…まさか…本当に君は…」

「うん…ごめんね、本当に雪女だったんだ…」

ルリは泣きそうな顔でそう言った。

「あやまることじゃないよ…それより…」

ボクは火から離れて、と言おうとして、その言葉は言えなかった。
声をかけようと近づいたとき、すでに足もなくなっていることに、気づいてしまった。

「そんな…ボクのために火を熾して…」

「そんな顔しないで。悪いのはわたしなんだから…」

「悪くなんて…」

「いいの、リルが無事でいてくれたならそれで…」

「ルリ…」

「ねぇ、さっきあんまりできなかったから、ちょっとお話しよう?」

こっちを向いたルリは、苦しそうだったけど、笑っていた。
そういえばちゃんと話もしたことなかった。
さっきもボクは途中で眠ってしまったんだ…

「うん…しよう…お話…」

ボクはルリを腕に抱いて、崩れないようにゆっくり火から離すと、
ルリと焚き火の間に盾になるように座って話をすることにした。







ルリはもう助からない。
わからないけど、でもわかってしまった。
ルリの表情もそれを物語っていた。
だから、そっと彼女の肩を抱き、捨て猫のような声で話す彼女の言葉に耳を傾けた。
話しをすることしかできなかったから。
話しを聞くことしかできなかったから…

「わたしね、今まで自分の名前を誰かに呼んでもらったことなかったの」

「だから…貴方が初めてわたしの名前を呼んでくれた人」

「そっか…」

ルリは今までずっと独りだった…

「春になるとね、このあたりにも花が咲くの」

「わたしの名前、その花からつけたんだよ。自分で、だけどね」

「なんていう花?」

「瑠璃草っていうの。小さくてかわいいところがわたしみたいなんだよ?」

「そうなんだ…」

初めて聞く花だった。それがとても悔しかった。

「あはは、冗談だよ。そこは否定してもらわないとわたし自信過剰みたいじゃない」

「…ごめん」

「ううん、まぁいいや。とにかくその瑠璃草からとったの」

「るりそう…ルリか…」

「うん…」

ルリは一瞬苦しそうな、そして悲しそうな顔をした。
その表情もすぐに消えて、また小さな笑みを浮かべた。

「ねぇリル…最後にさ…もう一度名前呼んで欲しい」

「自分でつけた名前だけど、貴方に呼んでもらって…」

「初めて本当に、自分の名前になった気がするの」

「うん、何度でも呼ぶよ…」

「ルリ」

「ありがとう…」

そこでルリはいったん言葉をきった。
そして、本当にリルに感謝してるんだよと、言ってくれた。

「わたしね、太陽の光も、火の熱さも、暖かいもの全部が嫌いだった」

「だってそうでしょ?『暖かさ』は私を消してしまうんだから…」

「でも…でもね…最後に知った暖かさだけは」

「リルの腕の温かさだけは」

「好きになれたんだよ?」

「だから、本当にありがとう…」

「ルリ…」


ボクを助けるために火をおこして、それで、自分は消えようとしているのに…
ルリはまた、ありがとう、と言って微笑んだ。

「泣かないで…リル」

ルリに言われて気が付いた。
ボクは泣いていた。
雪の中で出会って、そして別れようとしている少女の前で、
ボクは…涙をこらえることができなかった。

ルリは残された右手で、ボクの涙を拭ってくれた。

「わたし、最期に…人のぬくもりを…知って、とっても…幸せだったよ」

「………」

「一つだけ…泣き言いってもいいかな?」

「…うん…言って…」

「どうして…神様は…わたしを人間に…してくれなかったんだろう」

「わたしは」

「『ただの人間』が……よかったよ」

「わたしは…」

「あなたと同じがよかった…」

そう言って悲しそうに、本当に悲しそうに
ルリは…微笑んだ

「ごめんね……ありがとう……それと…」

「さようなら……リル……わたしの…こと………」

そのとき、ルリの体は崩れ去った。
ボクを生かしてくれる炎の暖かさで、
彼女は消えてしまった…
最後に、何かを言いかけて…


「ルリ………ルリ……」


ボクは彼女の名前を呼びつづけた。
消えてしまった彼女に、
せめて名前を呼ぶ声だけは届いて欲しい。
そう願いながら。










彼女を抱きしめていた腕を動かせないまま、
濡れた地面の上でただ彼女の居た跡を見つめていた。
ふと、水溜りの上に何か落ちているのに気づいた。
そこには一つ、ちいさな花の指輪。

「これは…」

彼女のいたその場所に落ちた指輪を拾い、ゆっくりと立ち上がった。

「さようなら……ルリ……この指輪は、君にあげるよ…」

再び指輪をその場に置いて、洞窟から外に出た。
空は少し明るくなっていた。



















もうすでに吹雪は止んでいて、積もった雪が辺りを照らしていた。
わずかな太陽の光も雪に反射して、昼間のように明るい。
これならもうちゃんと帰れるだろうと思い、ボクは宿をめざして歩き出した。

しばらく歩くと前のほうから声が聞こえてきた。
どうやらリオンたちが探しにきてくれたようだ。

「リルーーーーーーー!」

「あ!いた!」

「ノエル!マナちゃん!おっちゃん!リルがいたよ!」

リオンは振り返って叫んでいた。
みんなで探しに来てくれたのか…

「ほんと!?あ、リルー、よかった〜無事だったんだ…」

ノエルとマナちゃんが走ってボクの目の前に来た。

「無事だったのね、よかったわ」

「あーほんにな〜、よく無事じゃったな」

おっちゃんもノエルとマナちゃんに続いてボクのところまでやってきていた。

「ありがとう…探しにきてくれたんだ」

「当たり前じゃない、それより大丈夫なの?歩ける?」

「うん、大丈夫みたい」

疲れてはいたけど、歩けないほどではなかった。
マナちゃんを見ると、少し怒っているように見えた。

「ごめん、怒ってるよね…」

「はい、怒ってます、でも、いいんです。無事でいてくれましたから」

そう言って微笑んでくれた。

「じゃあ、早く帰って温泉で温まりましょうか」

「お〜いいね〜、早く帰ろうぜ」

ノエルもリオンも黙っていなくなったボクに何も言わなかった。

「あ、そうだ、これを…」

マナちゃんは懐からマフラーを取り出した。

「身体が冷え切ってるでしょうから、すこしても役に立てばと…」

そう言いながらマフラーを掛けてくれた。とても暖かかった。

「よし、帰ったらおっちゃんが何か温まるものでも作っちゃろう、いや、女将が何か作っとるか」

おっちゃんは今来た道を今度は宿に向かって歩き出した。

「俺なんかつま先の感覚ないしな〜」

「私もよ、とにかく早く帰りましょ」

おっちゃんの後について歩き出すノエルとリオン。





マナちゃんは隣にいた。
3人の背中を見ながらボクは少し考え事をしていた。
それに気づいたマナちゃんがボクに問いかけた。

「リルさん?どうかされたんですか?」

少し心配そうな顔をしている。

「あのさ、マナちゃんは瑠璃草って知ってる?」

なんとなく彼女なら知っている気がした。
植物や動物に詳しいことは知っていた。
こんな山奥に咲く花も、もしかしたら知っているかも知れない。

「えぇ、知ってますよ。リルさんが知っているほうが意外ですけど…」

「どんな花なの?」

「そうですね…小さくてかわいい花で、でも、あまり有名ではないですね」

「そっか」

ボクが知らないだけじゃなくて、他の人も知らないんだ…
そのことがとても悲しかった。

「でも…瑠璃草の別名なら有名だと思いますよ?」

「別名………なんていう名前?」

「『勿忘草』です。花言葉は『わたしを忘れないで』ですね」

「わすれなぐさ…そうか…」

わすれなぐさならボクも知っていた。
それにその花言葉も。

「あの…勿忘草がどうかしたんですか?」

「いや、なんでもないよ。それより…ちょっと先にいっててくれる?」

「え、でも…」

「すぐ追いつくから。大丈夫もういなくなったりしないよ」

「………はい、では先に行ってますね」

少し心配そうな顔をして何か言いかけていたけど、何かを察してくれたのか、
マナちゃんは先に行った3人を追いかけていった。









ボク考えていた。
最期に彼女が何を言おうとしたのかを。

そして、なんとなく、でもたぶんその答えを、
ボクはわかった気がした。



「わたしを…忘れないで、か」



ボクは振り返り、彼女といた洞窟のほうを見た。


「忘れるわけ…ないよ…」


朝露のように短かった彼女との時間、言葉、笑顔、
その全てを、思い出していた。








「ルリ…ボクは君を忘れない…」



















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