静かに降る雪は


両手ですくったとしても


その穏やかな熱で儚く溶けてゆく


舞い落ちる幾億もの雪の花びらのなか


ただひとひら、手のひらに落ちた欠片


その手のひらの中で


初めてのぬくもりを知る


その身を水に変える緩やかな熱を…























純白の出会い















季節は冬、一面の銀世界。
ただ白だけを抱き、周りの山たちは沈黙を守っている。
灰色のキャンバスを見上げれば、白い水玉模様。
ただ風に流され、揺らめくように肩に降り積もり、踏みしめた足でさえ埋もれて見ることはできないほどに深く重い
白い野原にはボクたち4人だけが彷徨うように歩いていた。
大きな荷物を抱え、煩わしいほどに舞い落ちる雪に顔を伏せながら…

「………」

「ねぇ…リオン…本当にこっちであってるの?」

近くの村を出てから2時間、そろそろ体力もなくなってきた、そんな頃。
2番目を歩いているノエルが前を歩いている男、リオンに尋ねた。
顔はフードを深く被っていてよく見えないけど、たぶん疲れた顔をしている。
最初は多かった口数も、今では歴史を語るピラミッドの彫刻よりも少なくなっていた。

「たぶん方角はあってる…はずだ」

先頭を往くリオンがフードを後ろにやりながら、こっちに振り返って答えた。
端正な顔立ち、青い瞳。秋の稲穂のような金色の髪が風になびいている。
彼はプロンテラ王国の騎士の家系で、例にもれることなく彼も王国に仕えている。
20歳で1大隊の副隊長になったほどの才能と家柄である、あるのだが…

「そう………たぶん………」

「って『たぶん』じゃなーーーーーーーい!!」

怒号と共にノエルのこぶしがリオンの頬に繰り出された。
その勢いで彼女の顔もフードから飛び出す。
サファイアのような色をした長髪と瞳、その髪は振り乱れ、その瞳には怒りが色濃く映っていた。

「痛たたた」

ノエルの神速の拳を頬に受けて、リオンは雪の上に倒れた。
まっさらな野原に人型がひとつ新しくできた。

「いきなり殴るなよなぁ…ほんとにプリーストかよ…まったく…」

リオンは情けない声で小さくノエルに抗議する。だけどその声は小さくてうまく聞き取ることができなかった。
彼はノエルの前ではいつもこうなのだ。リオンという生物にとって、ノエルは天敵なのかもしれない

「何か言った!?」

抗議の声が聞えたのか聞えなかったのか拳を強く握りながら問う。

「イエナニモ」

リオンは視線をを逸らして何も言ってないと答えた。まるで女王様に使える使用人のような態度だ。
彼の名誉のために言っておくと、普段はもっとちゃんとしてる、すこしは…
それにしても、彼の部下がこの光景を見たら何を思うのだろう。
でもノエルも人前では大人しいので、リオンの名誉は保たれている。今のところは。

「だいたい!なんで私が重い荷物持ってこんな寒い中あてもなく…」

ノエルはスタッカートだらけの言葉で叫びだし、言葉を切って力ををためている。次は力いっぱい叫ぶつもりらしい。
普段は口より先に手の出る彼女だけど、さすがに疲れているのだろう。

「歩き回らなきゃいけないの!!!?」

ノエルは疲れのためか、やたらと怒鳴り、リオンに問い詰めている。
まるでリオンのせいで歩き回っているとでも言うように。

「いや、それは……」

「それは!?」

「俺が…道を間違えたから…かな…」

「そのとーり!!」

そう、実は案内役のリオンが道を間違えたせいで、ボクらは彷徨っていたのだ。
ノエルがリオンを責めているのはそういう理由があったらからだった。
二人は普段もこういう調子だということは言わないのが花である。

「まぁまぁ、落ち着きなって。リオンを責めても宿には着かないよ」

リオンがノエルに責められているのを見かねて、一応止めに入った。

「それはそうだけど…もう、歩く気力もないわ…リルも疲れたでしょ?」

そう言ってノエルは足元の雪を手で叩いて硬くすると、その場に座り込んだ。
すこし唇の青くなったノエルは、すこし泣きそうな顔に見える。
いつもは気丈な彼女もさすがに慣れないこの「寒さ」には辟易しているようだった。

「たしかに、ちょっと疲れたね、少し休もうか?」

「休みたいのは山々だけど、寒くて寒くて寒死しちゃうよ…」

ノエルは両腕を抱いて震えている。正直女の子にはそろそろ限界だろう。
せめて火の魔術でも使えたら、暖を取ることもできたのに…
もちろん、薪があれば火を熾せる程度のスキルは冒険者なら当然会得しているけど、この環境ではそれも難しい。

「方角が合ってればそろそろ何か見えてもいいと思うんだけど…」

ボクは屋根になるようなものがないかあたりを見回した。できれば目的の宿が見つかるのが一番いい。
だけど、永遠に降り続くような雪が視界をさえぎってよく見えない。
もともと視力もいいほうではないので、建物があっても雪の迷彩で発見できないかもしれない。

「マナ、何か見えない?目…よかったでしょ?」

ノエルは後ろでぼーっとしているもう1人にそう問い掛けた。
彼女はノエルの妹でマナちゃん。ノエルとは性格がぜんぜん違う、とよく周りから言わている。
プリーストであるのにもかかわらず、ノエルは口より手が先に出るタイプなのに対し、
マナちゃんの場合、口も手も普段はあまり出てこない。
モンスターと戦うときでさえ、ギリギリまでは仲間を癒すだけのアコライトだ。
髪の色は同じでもノエルは腰に届くほど長いけど、マナちゃんは肩口で揃えている。
一見して全然違うふたり、それでもやはり姉妹なのか、ふとした瞬間、「あ、似てるな」と思うことがある。

「え?あ、はい…えっと……」

一応話は聞いていたようで、少し考え込むと、

「寒死じゃなくて、凍死だと思います…」

と一言呟いた。

「…………」

マナちゃんはときどき鋭いツッコミをする。的確で勢いのある突きのようなツッコミだ。

「そ、そうね…ところで、何か見えない?家とか」

「えっと…」

あたりを見回すマナちゃん。顔と視線は120度ほど水平に動き、ある一点で止まり、目を細めた。
どうやら遠くに何かを見つけたようだ。

「屋根みたいのが見えます」

「「「ほんと!?」」」

3人の声がハモった、座り込んでいたノエルも立ち上がってマナちゃんの見ているほうを凝視する。

「どこ?どこ?どっちのほうに!?」

飛び上がって喜びながら、リオンがマナちゃんに問いかける。

「あっちのほうに…白くて見難いですけど、煙突から煙も出ているみたいです…」

手袋に覆われた小さな指が示した方向を凝視するリオン。
その方向には確かに、白くて見難いが雪の積もった屋根らしきもの、
そして、煙突からの煙みたいなものも見えた。
間違いなさそうだ。

「本当だ!きっとアレだ!」

目的の宿の屋根とおぼしきものを見つけ喜ぶリオン。
このまま見つからなかったらノエルにどんな目に遭わされていたかを思うと、涙が出てきそう、そんな感じだ。

「ただの民家でも休ませてくれるかもしれないし…」

嬉しそうにノエルが言う。もう機嫌も直ったみたいだ。
ここらへんには目的の宿以外はほとんど何もないと聞いていたからか、
言葉とは裏腹に目的の宿と確信しているような顔だった。

「どっちにしても雪の中よりはいいしね、宿の場所も聞けるかも」

「えぇ。でも宿だったらいいわね」

「もし違ったら…」

振り返ってリオンを睨み、その後妖しげな笑みを浮かべて、

「リオン、あんた一生私の奴隷」

と本気なのか冗談なのか、唇の端を片方吊り上げて微笑む。

「なんでそうなる…」

ホントなんでそうなるんだろう…ノエルの思考はなかなかすごいなと、ボクはそう心の中で感想を述べた。

「どっちにしても休めそうだし、早くいきましょう」

ノエルの言葉に頷いて、その建物に向かって歩き出した。
それなりに距離はありそうだったけど、目的地が見えているとだいぶ気持ちが楽だった。











先頭を歩くリオンの足跡を辿って建物の前に着いた。
雪道では前を歩く人間の足跡を辿るほうが楽な場合が多い。
とくにこの地域のように雪が深いところでは。

「着いたーーーー!」

やっとのことでたどり着いたその建物は、目的の宿だった。
宿はまるで雪の迷彩を施しているかのようで、これは近づかないと普通は気づかない。
マナちゃんが気づかなかったら永遠にたどり着けなかったかもしれない。

玄関はいかにも温泉宿といったような造りをしていた。
もちろん木で作られた看板も扉の上にあった。

「よかった〜、ここじゃ宿じゃなかったら…私……」

「リオンを苛めなきゃいけないところだった」

そう言って頬を赤らめるふりをするノエル。
いつでも苛めてるというのはこの際言わないでおく。

「おいおい…」

「まぁ無事到着できてなによりだよ」

正直そろそろ遭難かと思ってたし。

「外は寒いですから早く入りましょう」

マナちゃんの言葉に頷いて、宿に扉を開いた。


扉を開けると外の世界が嘘のような熱気が布団のように包み込んできた。
玄関では古そうなストーブが自分の限界にでも挑戦しているかのようにがんばっていてとても暖かい。
ストーブを見つけたとたんノエルは抱え込むようにして冷えた身体を温め始めた。

「こんにちは〜」

「すいませ〜ん誰かいませんか〜」

静かな宿の奥に向かって呼びかけたが、返事はない。
聞えるのはストーブの上に乗っているヤカンの沸騰する音だけだった
ボクは宿の造りを観察していた。かなり古そうだけど、造りはしっかりしている。
もうだいぶ色を濃くしている床と壁の木材が宿の雰囲気を物語っていた。
とても落ち着いた感じがする宿だった。

ふと、正面に続く廊下の左右に扉があることに気づいた。
もしかしたらそこに従業員がいるかもしれない。客室にするには玄関に近すぎた。

「リオン、廊下の左右に扉があるよ。中に誰かいるかも」

「お、ほんとだ」

リオンは雪でぐしょぐしょになった靴を脱ぐと廊下へ扉のところへ歩いていった。
その足跡は木の床を濡らしてさらに黒くしていた。
そしてところどころに赤い粒を散らしていた。

「ってちょっと待って、リオン」

「ん、どうした?」

「何か赤い粉みたいなのが落ちてるんだけど…」

「あぁ知らないのか?唐辛子だよ、唐辛子」

「は?」

言葉の意味がよくわからない。リオンの足からは唐辛子でも生まれるのだろうか?

「靴に唐辛子入れてるとさ、暖かいんだよ。ホッカイロみたいにぽかぽかするんだぜ?」

「そ、そうなんだ」

どこぞのおばあちゃんの知恵袋らしかった。なんでそんなこと知ってるんだ。
だいたいホッカイロって一体何だろう。また一つリオンがわからなくなった。

「ん〜さて、どっちかな…」

呆けてる間に扉の前に立っていたリオンは、どっちからノックしようか迷っているようだった。
どうしてそんなことを迷うのかは彼しかわからないことだろう。

「よしこっちだ」

右側の扉に決めたようで、右手に握りこぶしを作ってノックした。

「ノックしてもしも〜し」

わけのわからない言葉を吐きながら。

「もしも〜し、入ってますか〜」

するとどこからか声が聞こえてきた。声だけだったけど、まだ若そうな女の人の声だった。
若い女将さんか仲居さんかもしれない。どうやら右の部屋にいたみたいだ。
声が聞こえてすぐ扉が開く音がした。だけど扉は閉まったままだった。
どこから聞えてくるのだろうとリオンが左右を確認したとたん、
蛙のつぶれるような声と共に和服の女の人が現れた。
右でも左でもなくリオンの頭上から…
もちろん蛙のような声を出して倒れたのはリオンだ。

「いらっしゃいませ〜、お待ちしておりました。私が女将のラヴェンナです」

「ラブちゃんって呼んで下さいね〜♪」

何事もなかったかのように歩いてくる女将さんは少し高そうな着物を身につけ微笑んでいる。
てゆーかラブちゃんってあなた…

「えっと、予約してあったんですけど…」

「はい、ご予約のお名前は?」

「たぶん『リオン・フォートナム』だと思うんですけど」

「はいはい、承っておりますよ、4名様ですね?」

「ちなみに3人と従者1人です」

ストーブを堪能したのか、いつのまにか後ろに立っていたノエルは女将さんにそう言った。
フォートナム家はプロンテラ5大貴族の一つに数えられるほどの名家だというのに、ノエルの彼の扱いは召使い並だった。

「雪の中お疲れになったでしょう、どうぞお上がりくださいませ〜」

彼女はおおらかな人らしい。
自分でその1人を踏み潰したことに気づいてないようだ。
この女将さんなら客がモンスターでも気づかないかも知れない。
彼女にはそんな超人的な思考回路があるように思えた。

「それではお荷物をお持ちいたしますね」

「いえ、そこで潰れているのが運びますので」

そう言ってノエルは荷物を降ろした。

「そうですか?では、お部屋はこちらになります〜」

そう言って女将さんは宿の奥に歩いていった。ノエルも女将さんについて行く。
二人とも倒れているリオンの横を何事もなかったように通り過ぎていった。

「リオンさん、大丈夫ですか?」

姉が女将さんについて行くのを見送りながら、マナちゃんは倒れているリオンの傍らに膝をついて声をかけた。
ボクもその横に立ってマナの様子を見ていたが、リオンを気遣う言葉に似合わず微笑を浮かべていた。

「あぁ大丈夫だよ」

マナちゃんの言葉に反応してリオンは上体を起こした。

「よかった、平気みたいですね」

そういって笑顔をさらに強くするマナちゃん。
それを見たリオンは感動して目に涙を浮かべた。
そして喜びの声でもあげようとしたのか、口を開いたが、マナちゃんの次の言葉に遮られた。

「それじゃあ荷物お願いしますね…」

「マナちゃんまで…」

喜びの涙は悲しみの涙に変わっていた。
マナちゃんにまで酷い扱いを受けるプロンテラ第5騎士団副隊長、フォートナム家次期当主リオン・フォートナム。
彼は今、ただのパシリになっていた。

「リルさん、いきましょう」

マナちゃんはゆっくり立ち上がってボクを促した。

「うん、行こうか」

女将さんとノエルの歩いていったほうに歩き出した。その後ろをマナちゃんが2歩ほどあけてついてくる。
これはいつものことだが、彼女はボクより前を歩かない。
他の人間にたいしてもそうなのかはわからないけど、もしかしたらボクはプリーストであり、
しかもプロンテラ大聖堂の大司教直属の司祭で、位は多少高い。そしてマナちゃんはアコライト、そういう意識があるのだろうか。
でも彼女がそういったことを気にする人間ではないことはいいかげんわかっていたので、彼女の癖の一つだということにした。
実際マナちゃんも無意識にそうしているようだったから。








部屋に通されてしばらくしてから、一人で暇だったのでノエルとマナちゃんの部屋に行った。
リオンは三人分の荷物を置くと、自分のカバンから何かを取り出してどこかへ行ってしまった。
女性二人の部屋を訪ねると、ノエルは既に案内された部屋のコタツでくつろいでいた。
温泉宿につきもののお菓子を食べながらお茶を飲んでいる。
見たところ緑色の水色だったので、紅茶ではなく緑茶だろう。
フェイヨンの定食屋でも出されるお茶だ。どのくらい発酵させるかの違いだけど(ちなみに発酵度0%のお茶が緑茶だ)、
ボクは紅茶のほうが好きだったりする。でも、こういうところでは緑茶のほうが合うかもしれない。

「う〜ん、こたつはいいよねぇ」

ノエルはコタツの上に突っ伏しながら幸せそうにつぶやく。
いつのまにか三人でコタツムリになっていた。マナちゃんはさすがに疲れたのか、こたつで眠っている。
なんだかんだいっても遭難しかけたのだから当然かもしれない。ノエルも眠そうにしている。

ボクもうつらうつらしてきた頃、失礼します、という言葉と共に女将さんが入ってきた。
手には白い生地に青のラインの入った浴衣を持っている。

「浴衣のほうはこちらに置かせていただきますね」

そう言って浴衣を部屋の端に置いた。

「お食事まで時間まだありますし、温泉でもに入って来てはいかがです?」

女将さんの言葉に、半分眠りに入っていたノエルは飛び起きた。

「温泉!!」

「確かに、温まるなら温泉がいいね」

少なくともこのままコタツにずっと入ってるよりはいいだろう。

「えぇえぇ宿のお風呂は温泉をひいてますし」

女将さんはにこやかに微笑んでいる。この人はいつでも笑顔を絶やさないらしい。
もちろん接客のときは笑顔は基本なんだろうけど、この人の場合は元からそうなんだろうと思う。

「この近くに露天風呂とかあるんですか?」

興味津々な様子でノエルが質問した。
そういえば、プロンテラの北東の森にも小さな温泉があって、ノエルは休日に時々足を運んでいると言っていた。
プロンテラ生まれにしてはお風呂が好きらしい。

「もちろんありますよ〜、でも案内が必要ですし少し遠いので…」

今日はやめておいたほうがいい、ということだろう。

「そうね、今日は宿の湯につかって、明日行きましょう」

散々歩いた疲れもあったので、近くても今日は宿の温泉に入るつもりだったのかもしれない。
興味津々だったわりにはあっさりしていた。

「そだね、今日はもう歩きたくないし」

「浴場は一階にございますので、ごゆっくりどうぞ〜」

いそいそと女将さんは出て行った。おそらく夕食の準備で忙しいのだろう。
夕食の場所も時間も言うのを忘れていなくなってしまったのだから。

「あ!」

突然ノエルが声をあげた。

「荷物リオンがもっていったまま…」

「それなら、ボクの部屋に置いていったよ」

荷物を置いてその後どこに行ったのか、聞いてないからわからないけど。

「ほんと?よかったぁじゃあさっそく…」

ノエルはコタツから出ると妹の横に膝をついて、

「マナ、温泉入りにいくわよ」

眠っているマナちゃんをゆすって起こすと、浴衣を二人分持って部屋を出て行った。
マナちゃんはふらふらしながら姉のあとについていった。
実は寝起きは弱いのがこの姉妹の共通点だったりする。ボクとの共通点でもある。


















「ふぅいい湯だった…」


貸しきり状態の温泉でゆっくり暖まってから、自分の部屋に戻った。
するといつのまにか帰ってきていたリオンが浴衣を着てコタツに入っていた。
いかにも湯上りっていう感じだった。

「おぉリルも温泉はいってたのか」

「リオン…いつのまに入ったの?風呂場にいなかったでしょ」

「ん?あぁ俺はちょっと露天風呂のほうにいってたんだよ」

「へぇ、露天風呂結構近かったんだ?」

「あぁ、5キロくらい歩くけどな」

5キロって…まぁリオンのことだから何でもありかもしれない…と納得することにした。
リオンは不可能を可能にする男、ボクの中ではそういう位置付けだった、いろいろな意味で。

「それにしても、温泉入ったら体が火照ってしょうがないよ」

浴衣を忘れていったので、普段着のままのボクは体の熱を持て余していた。

「散歩でもしてきたらどうだ?」

「リオンじゃないんだから…、うんでもちょっと外行って来ようかな」

「飯までには戻ってこいよ〜」

「ほんのちょっとだけだよ」

リオンの言葉に苦笑いをしながら上着を着て玄関へ向かった。
雪を見るのが好きなのに、ここにくるまでは道に迷っていたのでそれどころではなかった。
せっかくの雪もわずらわしいものでしかなかったから。
1人で静かに降る雪を堪能したいと思った。













相変わらず雪はとめどなく舞い降りていた。
だけど、さっきまで吹いていた風も今は止んでいて、ただまっすぐ静かに降りてきていた。

ボクは空を見上げる。
相変わらずの灰色の空、だけどさっきまでとは違う。
まっすぐに降り注ぐ雪は天使の羽根のように、見上げる人間をを空に昇らせてくれる。そんな錯覚。
空を見上げて風のない雪の日だけの特別な魔法に身を委ねるのが好きだった。
まだすこし明るかったので、宿からすこし離れたところまで来ていた。


どれだけそうしていたのか、体の熱もおさまってきた頃、
後ろから雪を踏みしめて近づいてくる人の足音が聞えた。

「何してるの?」

女の子の声だった。宿に泊まってる人だろうか。
ボクは空に昇る幻想を振りほどいて、その声に振り返りながら答えた。

「空に昇ってたんだよ」

「空に?」

ボクはオウム返しに聞いてくる少女をみた。
その少女は真っ白な着物を着ていて、肩までの長さの髪は白銀のように鮮やか。
肌も雪が染み込んだように白く透き通っていて、まるで雪のようだな、なんて思った。
いや、正直目を奪われていたのかもしれない。その儚げなその姿が、誰かに似ているような気がした。
そう思ったのも一瞬で、やっととんでもないことに気が付いた。
少女が着ている着物は一枚で、雪に埋もれてよくは見えないけど、裸足で雪の上に立っているみたいだった。

「ちょ、ちょっと、そんな格好で外にでてきちゃだめだよ」

「どうして?」

本当にどうしてなのかわからない様子で少女は首を傾げる。

「だって、寒くないの?」

寒くないわけがないと思いながら、まったくその様子のない少女に尋ねた。

「寒くないよ。そんなことよりさ、わたしと遊ばない?」

「遊ぶって…」

正直見てるだけで凍死しそうな格好で遊ぼうなんて言ってくる少女。
ボクは混乱していたのかもしれない。
真夏の太陽の下でコートを着ている人間が、暑くない、と言っているよりもずっと現実的ではなかったから。
現実から離れすぎていて正常な思考ができなかったのかもしれない。

「遊ぶのはかまわないけど…」

「ほんと!?やったー♪」

少女はボクの答えを聞いて、その場で両手をあげて嬉しそうに笑った。
さっき感じた儚い雰囲気はもうない。この少女には笑顔のほうが似合っていた。

「でも、寒いからさ、宿に戻ってからにしよう?」

「宿?わたし宿なんて泊まってないよ」

「え?もしかしてここらへんに住んでる人?」

「う〜ん、ここらへんっていうか、あっちの山のほう」

少女は振り返って森の向こうにある山を指差した。
山の方角は既に夜に落ちていた。

「それじゃあだめだよ」

「え〜〜、いいって言ったのにぃ〜」

少女はそれこそプンスカなんて音が聞えそうなほどすごくわかりやすく拗ねた。

「でも、もう夜になるし、また明日にしようよ」

ボクの提案を聞いて、唇に指をあてて悩む少女。
もしかしたら地元の人間はこの程度なら裸足でも大丈夫なんだろうか。
そんなムリのある納得のしかたをしようとしていた。
その少女をみていると寒がってるようには見えなかったからだ。

「う〜ん、明日なら遊んでくれるんだよね?」

「うん、でももう少し暖かそうな格好してきてね?」

「寒くなんてないのに…」

「こっちが寒くなるんだよ…」

「考えておくよ。じゃあ、明日ね、絶対だよ」

「うん、約束」

「わかった、それじゃあ、わたし帰るね」

「気をつけて」

「まったね〜」

少女はそう言って手を振ると森のほうへと駆け出した。
雪をかきあげる足は、それと同じくらい白かった。
十歩ほど離れたところで何かに気づいたのか、突然止まってボクのほうに振り向いた。

「ねぇ、あなたの名前は?」

少女は名前を聞いてないことを思い出したのだ。
名前の交換はそれだけで一つの約束になる。

「ボクは『リル』だよ」

「え?あははっ、リルっていうんだ〜」

名前を教えると彼女は一瞬驚いた顔をして、それから笑い出した。
ちょっと、いやかなりショックかもしれない。名前を教えて笑われたのは初めてだ。

「わたしはね、『ルリ』っていうの、似てるね〜」

あぁだから笑ったのか…
確かに似ていた。というより逆にしただけだった。

「それじゃあ、リルっ!また明日ね〜」

「またね、ルリ」

今度は振り返らずまっすぐ森の方へと走っていった。
ボクはルリが森に消えるまで何度か振り返って手を振るのを見守っていた。
ずっと降り続いていたはずの雪は、いつのまにか止んでいた。














「ただいま」

部屋に戻ってくるとちょうどリオンが出てくるところだった。

「ちょうどよかった。夕飯できたってさ」

「そっか、そういえばおなか空いたね」

思えばお昼ご飯は軽く済ませたのだから、夕食が早くて助かったかも。

「って、外そんなに寒かったのか?」

「え?」

リオンが何でそんなこというのかわからなかった。
もちろん寒いといえば寒かったけど。
「くちびる真っ青だぞ」

そういえば今日遭難しそうになってたときより体が硬い気がする。

「そんなに長くいたかな…」

ルリと話をしたとはいっても、そんなに長い間外にいたわけじゃない。
でも、湯上りだったから感覚がおかしくなってたかもしれない。
そういえば少し寒気もする。

「まぁ疲れもあるのかもな、夕飯食べて暖まれば平気だろう」

「ご飯って食堂かな?」

女将さんから聞いていなかったので、どこで食事をするのかわからなかった。

「あぁ、場所わかるから行こう、ノエルたちは先に行ってるよ」

「そっか、待たせちゃったかな」

「いや、今行ったばっかだ」

「じゃあ急いで行こうか」

「その前にちょっと風呂に寄ってお湯で顔洗ってきたほうがいいかもな」

ボクはリオンの言葉にうなずいて風呂場に向かった。
ノエルとマナちゃんに余計な心配をさせるわけにもいかない、と思ったからだった。
リオンが心配するくらいだから相当なんだろう。
風呂場でお湯に手をつけると思ったより冷えていたのか、お湯はかなり熱く感じられた。

「このタオル使っていいぞ」

どこから取り出したのか、リオンは顔を洗い終わったボクの頭にタオルを広げて被せた。

「用意いいね」

頭のタオルを手に取って濡れた顔を拭いた。
リオンに顔を見せると、OKサインが出たので食堂に向かうことにした。






食堂は玄関からすぐのところにあった。
もちろん食堂といっても、温泉旅館らしく畳の部屋にお膳が用意してある。
どこで捕れたのか、川魚の塩焼き、いつ採ったのか、山菜のテンプラなど、
王国では普段食べられないアマツ料理だった。

「アマツ料理なんて久しぶりだなぁ」

4人の中でいままでアマツに来たことのある人間は1人もいなかったけど、
フェイヨン出身のボクは何度か食べたことはあった。
というのも、フェイヨンでは東方の文化をいまだ残しているからで、
衣食住すべてが首都近郊とは異なるのである。
目の前のお膳の上にはパンすらなかった。
ノエルとマナちゃんはこういうのは初めてかもしれない。

「そっか、リルはフェイヨンだもんね」

座布団の上に座って料理を眺めていたノエルが思い出したように言った。
早く食べたいのか、もう箸を手に持っていた。
ちょうどノエルとマナちゃんが並んで座っていて、正面が両方空いていたので、
ノエルの前にリオン、マナちゃんの前にボクが二人づつ向かい合って座る形になった。
部屋にはボクたち四人だけ。他に客はいないようだ。

「それじゃあ、いただきま〜す」

「「「いただきます」」」

ノエルの号令に3人が合わせる。
いつだって彼女はリーダーシップを発揮する。

食べ始めてすぐ女将がおひつをもって部屋に入ってきた。

「炊き込み御飯ですよ〜、どうぞ〜」

「タキコミゴハン?」

ノエルが聞きなれない言葉にハテナマークを出している。
リオンも知らない様子で、マナちゃんは…川魚と格闘していた。
慣れない川魚を慣れない箸で食べるのは酷かもしれない。

「山菜とか栗とかと一緒にライスを炊くんだよ」

特に栗の炊き込みご飯はすっごいおいしい。
フェイヨンの定食屋さんで秋の隠しメニューとしてあったりする。

女将さんは先に用意してあったお茶碗にご飯をつけて配ってくれた。

「へぇ〜、美味しそう」

「これは…俺も食べたことないな」

リオンはたまにフェイヨンに派遣されることがあって、いつも食事は民族料理を食べているらしい。
四人のなかではボクの次に箸に慣れている。
そんなリオンも、白いご飯しか食べたことはないらしい。









きのこの炊き込みゴハンはとても好評で、みんな出された料理もおひつのゴハンも全て食べきった。
満たされて眠くなったマナちゃんは部屋に帰っていった。またコタツで眠るのだろう。
ノエルは今日2度目の温泉に入りにいった。
おなかがいっぱいで動けないのか、リオンは食堂でお茶を飲んでいる。
ボクはやることがないのでリオンに付き合っていた

「食べ過ぎたな…」

おなかを軽く叩きながらリオンが満足そうに言う。

「美味しかったしね」

ボクはもともとパンよりゴハンが好きだった。
でも普段はなかなか食べられないので今日は久しぶりで、しかもとてもおいしかったので、満足だった。
食べ物がおいしいと心まで満たされる。

「………それ」

リオンがあごで何かを指した。

「ん?」

何のことかわからかった。ボクが首を傾げるとリオンが言葉を続けた。

「その指輪まだつけてたんだな」

「うん…」

ボクの指にはあまりにも男がつけるには似合わない花の指輪があった。
その指輪はボクの姉の物で、その姉はどこにいるのかもわからない。
何年か前に姿を消してしまった。それからボクはその姉を探しつづけている。
だけどもう…探す場所はもうほとんど残っていなかった。

「まぁいいけどな」

リオンはそう言ってすこし冷めたお茶を飲み干した。
いいとは言っても何か言いたそうだった。

「うん…でも、この指輪は命の源の花でできてるんだって。だからリオンの考えているような気持ちだけでつけてるわけじゃないんだよ」

「そうか、まぁ簡単に外せるわけもないか…」

もちろんずっとつけたままでいるわけでもない。
リオンの言いたいのは精神的なものだろう。
実際、お風呂に入るときは外しているし、リオンにも一度貸したことがある。
魔術的な力の宿っているこの指輪は持ち主を守る力がある。もちろんそれほどたいしたものではない。
でも指輪を本当の意味で手放すことはできなかった。本当はつけていることに意味なんてそれほどないのに…
姉さんが生きていると思って探し続けているのに、まるで形見のように指輪を着け続けていた。なんて矛盾なんだろう。

リオンは現実主義者だ。本当のところはどうかわからないけど、そういうスタンスで生きている。
人の上に立つ騎士として感傷に浸るわけにはいかない。そう思っているのだろう。
少なくともボクから見たリオンはそうだった。
リオンはボクの姉が生きているとは思ってないのだろう。
だから指輪を外すことで忘れるための一歩を踏み出させたいのかもしれない。
今回の旅行も計画したのはノエルだったけど、リオンもずいぶん乗り気だった。
半分くらいはボクのためだったのかもしれない。
リオンの気持ちはよくわかる。だけどボクにはそれはできなかった。

「今日はその話はなしにしようよ」

「あぁそうだな、せっかくの旅行だしな」

リオンは立ち上がって、余計なお世話だったな、と一言残して部屋から出て行った。





リオンが出て行った後、ボクはお茶を一杯いれて飲んでいた。
すると大きな足音が近づいてきた。たぶん誰か食事の片付けに来たんだろう。
ふすまを開けて大きな男が入ってきた。森で出会ったら思わず死んだふりをしてしまいそうな容貌。
歳は40くらいに見えるけど、ひげで老けて見えるのかもしれない。

「まだ食っとったんか」

図太い声で聞いてくる。女将さんと比べてずいぶん訛っていたけど、聞き取れないほどではない。

「いえ、もう食べ終わりました。これ飲んだら行きます」

「ふむ」

ボクの顔を見ながらあごのあたりを手で撫でる。
その手も山の男らしく大きくて荒れていた。
宿の力仕事はたぶんこの人がやっているんだろう。
空になった湯飲みを置いてボクは立ち上がった。

「ごちそうさまでした」

部屋から出て行こうとふすまに手をかけたとき、

「顔色が悪い、早く寝たほうがええ」

と、おっちゃんはボクの顔を見ながらそう言った。
そんなに悪いのだろうか。ノエルもマナちゃんも何も言わなかったけど、気づいていたのかもしれない。
実際寒気を感じていた。例の風邪をひく一歩手前のあの感じだ。

「はい、そうします」

ボクがそう言うとおっちゃんは食器の片付けにかかった。
その姿を横目に見ながらボクは部屋へと戻った。










部屋に戻ると布団が既にひかれていた。
リオンは一人コタツでみかんを食べている。

「おう、リル戻ったか。みかん食うか?」

コタツの上に置いてあったみかんをひとつ手に持つと、返事をする前に放り投げてきた。
そのみかんを両手でキャッチする。

「ありがと、持って来たの?」

まさか旅館でみかんを出してくれたりはしないだろう。

「あぁ、冬はやっぱりみかんだろ」

そう言って笑うリオン。さっきの食堂でのすこし重い空気がうそみたいだった。
まぁでも切り替えは二人とも早いほうだから。

「これ食べたらボクはもう寝るよ。ちょっと風邪ひきそうな感じだし」

「へぇ、そういうのわかるのか?セキとかクシャミとかしてなかっただろ?」

「なんとなくだけどね」

「俺はまだ眠れそうもないからノエルたちの部屋でも行ってくる」

こたつから出るとリオンはいくつかみかんを持って部屋から出て行った。
ボクはみかんを食べ終えると、明かりを消して入り口から遠いほうの布団入った。
布団は少し冷たかったけど、しょうがない。すぐに体温で温まるだろう。
それにしても床に寝るのは久しぶりかもしれない。
野宿以外はベットに寝るのが普通だ。

眠気はすぐに襲ってきた。
そういえば危うく遭難するところだったんだっけ…
旅はかなりしてきたけど、今日は結構疲れた。
よく寝られそうだ。

ボクは明かりの消えた部屋に差し込む雪の光に、今日出会った少女のことを少し思い出しながら、
いつしか眠りに落ちていた。
















続く